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愛猫

私の愛猫「ミエ」ちゃんです。
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元々、私は猫が大嫌い。
我が家に猫が居ると、何かを投げつけてでも追い払うほどの猫嫌い。
猫の方も心得たもので、私の視界に極力入らいようにしていた。

ところが、この猫だけはお構いなし。
何かを投げつけられようと。
足蹴にされようと。
すり寄ってくる。

とうとう根負けして、餌を投げたのが付き合いの始まり。
外で、投げられた餌を食べ。
専用の容器に入った餌をもらえるようになり。

首輪と戸籍(?)をもらい。
餌から食事に変わり。
食器や寝床が与えられ。
とうとう、私の部屋を占領するまでになってしまった。

さて、この子の名前ですが。
私の実母「高橋ミエ」と同名の「ミエ」で私の飼い猫として登録しました。

どこか、亡くなった「ミエ」に似ているのです。
顔が似ているのか?
ちょっとしたしぐさが似ているのか?
それとも性格か?

私の上で気持ちよさそうに目を覚まし。
目があった瞬間に。
そぅ、60年前にタイムスリップ。
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質問

皆さんは『マクリ』をご存知ですか?

先日、ある会でこの話をした。

『おでん』がふるまわれ、それを食べながら。
「これって、おでんって言いますけど。昔は関東煮って呼んでましたよねぇ」から始まって。
参加者が銘々おでんにまつわる話をしていた。

やがて、おでんに入れる具材の話になり。
『コロ(クジラのコロです)』の話でひときわ盛り上がり。
「そういえば、学校給食で肉といえばクジラでしたよねぇ」
で、クジラを使った献立でまたひときわ盛り上がった。

私は子供のころ、虚弱体質で好き嫌いが激しく。
魚は食べることができても、肉類はほとんど食べれなかった。
当然、クジラ肉は大嫌いだった。

「あの匂いを嗅いだだけでも、イヤでしたね」
という私に
「えぇ~、おいしかったのに」
と冷淡な仕打ち。

そこで話題を変えようと。
「皆さんは『マクリ』をご存知ですか?」
と言った。

「『マクリ』って何?」
「ほら、昔、小学校のころ。年に一二度飲まされましたやんか。『マクリ』。あの臭っさいやつ」
「なにそれ」

今、書き込みながらよくよく考えると、食事中に出す話題やなかったですよねぇ 
この時も、『マクリ』の作用や効能といった突っ込んだ説明をするつもりはなく、クジラ肉の匂いが、『マクリ』に匹敵するほど嫌だったという程度にとどめたかっただけなのに  (。-_-。) 反省

「えぇぇ、覚えてません。虫下しやったかなぁ。あの匂い。今、思い出しても、いややなぁ~」  (´・_・`)
ところが、いくら説明しても箕面のおっさんは『マクリ』を知らないらしい。

それどころか、『虫下し』という医療行為?というか習慣が箕面には無い。
箕面の子に虫下しは必要ない!(ホンマかいな)   (°_°)
と断言された。

これには、驚かされた。
『マクリ』を飲まされることが当たり前だと思っていた私には、非常なショックだ。

で、帰ってきて改めてネットで『マクリ』を調べた。
出てくるのは、競艇や競輪などの用語として使われている『捲り、差し』に関係することばかり。

だんだん不安になり。
『マクリ』なんて、ごく一部の(しかも少し遅れた)地域の風習だったのかしら?
と思っていたら。

『マクリ』は海藻の一種で「カイニン草」とも呼ばれ。
これを煮だして作る『マクリ』は回虫の駆虫薬として有名らしい。

60歳以上の方に質問します。  
箕面では本当に『マクリ』を飲まされることはなかったのですか?



基準

我々にとって一番大切なのが、『基準』(本文を読んで、もっと良い表現があれば教えてください)ではないのかと思う。

何かを『基準』に
「今日は寒い」とか
「今日は暖かい」とか言ってる。

この基準が『くせ者』で『ええ加減』なもので、すぐに変わってしまう。
10度でも暖かく感じる時もあれば、寒く感じる時もある。
2、3日15度近い日が続けば、10度と言われれば急に寒く感じる。
2,3日4、5度の日が続けば、10度はびっくりするくらい暖かい。

『幸せ』や『不幸せ』だって同じことだ。
順風満帆、思い通りの物事が進んでいるときは、上手くいくことが『基準』(当たり前)になっているから、にちょっとした躓きでも『失望』や『不幸せ』のどん底に落ち込む。
何をしてもうまくいかないで落ち込んでいるときは、他人からかけられた何気ない一言で『幸せ』を感じる。

凡人ほど、この『基準』の振れ幅が大きく、目まぐるしく変化しているのだろう。
達人と呼ばれる人は、振れ幅が小さく、変化の周期も長いように思う。

子供のころ、親父が初詣でおみくじをした。
引き当てたのが『吉』や「大吉』、『凶』ではなく『平』(たいら、と読むらしい)だった。
親父も初めて引き当てたらしく。
「なんや、これは!」  (`o´)
と機嫌が悪かった。

知り合いの神職さんが。
「いやぁ~、高橋さん。好いおみくじを引き当てられた。百近いおみくじの中でそれが一番です。」
まだ腑に落ちない様子の親父に
「運勢に『大吉』を求めても、それが続くはずがない。やがては運気が下降するでしょう。ところが、自分は『大吉』の運気が当たり前だと思っているから、『小吉』の運気なのに不幸だと思う。『吉』や『凶』に翻弄されて生きるより、心静かに生きるためには『平』が一番です」

その言葉を60年近く経った今でもはっきり覚えている。

残念ながら、いまだにおみくじで『平』を引き当てたこともないし、勿論達人の域にも達していない。
毎日『基準』に振り回される、不平・不満の日々だ。

薪割

村の中(どんなところに住んでるんだ?)を歩いていたら、解体中の家があった。
廃材が周りに積んである。

この廃材の山を見て思わず
「もったいないなぁ、欲しいなぁ、くれんかなぁ?」
って、呟いてしまった。

昔は、こんな廃材をもらって、薪にした。
植木屋の仕事で出た、太い剪定枝や幹はすべて薪にした。
冬場の仕事の一つが薪作りだった。
薪割は、体が温まって楽しい。

細い枝や葉っぱは、畑で燃やして、灰を肥料にした。
あの頃は『ごみを出す』という習慣も殆どなかったと思う。
野菜くずやご飯の食べ残しは鶏のエサだったし。
餌にできないものは、畑に持って行って肥料にした。

世の中は、確かに便利になった。
お風呂も、最初にボタンさえ押せば設定した湯温が保たれる。

地球の温暖化が問題になっているけれど、自分たちの便利さと引き換えにしているのだろうな。

えらそうなことを言ってるけど。
薪を作る気はあっても。
寒い時に外に出て、風呂の焚き口に薪を入れに行く根性は消え失せた。

65

今日は誕生日。
65歳になりました。

私は、幼いころは『病気のデパート』と言われるほど様々な病気を経験してきた。
今から思えば『食物アレルギー』がきつかったのだろうと思う。

『アトピー性皮膚炎』や『喘息』に悩まされ続けた。
ツベルクリン反応では、腕だけでなく注射を打った方の肩までが大きくはれ上がり。
勿論『測定不可能』で処理された。

夜は喘息の発作で寝られやしない。
横になると苦しいので、椅子に座って夜を明かしたこともしばしばだ。

小学校の体力測定の途中で倒れて、大騒ぎになったり。
遠足に出かければ、次の日から2,3日は熱が出て学校を休んだ。

暑さ・寒さにもめっぽう弱く。
夏休みの思い出は、涼しい座敷に布団を敷いてもらってゴロゴロしていたことだけ。
勿論、宿題なんてほとんどしなかったし、する元気もなかった。

寒い日は、親か従業員さん(家業がパンの製造でしたから従業員さんがいました)に学校まで車で送ってもらい、1時間目が終わったくらいで先生が
「高橋君(旧姓)寒いしもぅ帰るか?家に電話をかけようか」と言ってくれた。

低学年の頃の体育は、見学ばかりだった。
それが小学校高学年から、少しずつ丈夫になり。
中学生くらいになるとほぼ普通の生活が送れるようになった。
初めてプールに入ったのも中学生だったと思う。

中学生になっても、体は小さく常に一番前に立っていた。
あまりに小さすぎて、『いじめ』の対象にもならず。
けんかもできない『へたれ』少年だった。

子供の頃、65歳といえばとんでもない爺さんだった。
まさか自分が65歳の爺さんになるまで生きてるとは思わなかった。
しかも、これだけ健康で元気に!   (^-^)/
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