『運勢』というものは存在するらしい。
何故だか解らないが。
『上手くいく日』
『まったくダメな日』
がある。
『上手くいく日』は『当たり前だ』と捉えがちだが、『まったくダメな日』がある(続く)ことで、そのありがたさに気付かせていただく。
当然『上手くいく日』が毎日続くように様々に工夫する。
何故その日が『上手くいったのか?』自分なりに様々に分析してみる。
天候?
体調?
服装?
持ち物?
共通項を探し当てようとするのだけれど、おいそれとは見つからない。
そぅいえば、『上手くいった日』には、必ずあの家の前を通ったなぁ。
やっと気づいて、それからは、多少遠回りでもその家の前を通るようにするのだが。
そのうちに『まったくダメな日』に出くわし。
しかもそんな日が続いてしまう。
自暴自棄に陥ってしまっていると、いつからか急に『上手くいく日』が続く。
また、共通項を一生懸命探し出し。
それに縋ろうとする。
こんなことを繰り返しているのだが。
歳をとってくると、こんな日常もまた楽しい。
『ラッキーアイテム』っていうんですか?
それを探し当てようとすることが、楽しい。
今日も私だけの『ラッキーアイテム』探しの旅に出ましょうか。
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昨日もあいさつ回りに出かけた。
その中で、『なるほどなぁ~』と、感心させていただいたお話です。
その人は、趣味でスポーツをしているらしい。
が、そのスポーツ設備がひどく傷んでいることに、激怒されていた。
長く話し込むうちに、かなり和やかな雰囲気になりいろいろと教えてくださった。
曰く
その施設を利用している団体の人達をもっと利用すべきだ。
自分たちが使う施設や設備がどのようになれば使いやすいかは、利用している人たちが一番わかっている。
ただ気を付けなくてはいけないのは、市の施設としての整備レベルだ。
お金をかけてプロ仕様にする必要はないが、せめて地方大会に使えるレバルを維持してほしい。
「きっとどの団体にも『世話好き』で『マメ』な人がいるから、その人に『きれいに整備するのに何が必要か?』を聞いて、言われたことが実現できるだけの材料を提供すればよい」
とおっしゃったので
「例えばグランドに撒く『にがり』をあらかじめ用意しておくんですな」
と言って、また叱られた。
「そんな発想だから、『行政は上から目線だ』とか、『我々に仕事を押し付ける』とか言われるんだ!」
「ホンマにわかっとらんな!『何かを求める』。『それをすぐに調達してくれる』から、やる側に感謝の気持ちがわいてきて、一生懸命やろうという気持ちになる」
「それを、先に材料を渡せば『これでやりなさい』と言ってるようなもんだろ!」
「あっ、なるほど!!」
昨日の未明、というか午前2時頃だったと思う。
いつもは熟睡して、朝まで目が覚めないのだが。
その時は、次々と嫌な夢を見てとうとう起きてしまった。
2度寝して、清々しい朝を迎え。
何故起きたのか?
何故、あれほど嫌な夢を見たのか?
解らずに、普段通りの仕事に就いた。
不思議に思ったのが。
止まっているはずの息子のダンプが無い事だったが。
「あっ、車検か」で気にも留めなかった。
事務所に息子が飛び込んできた。
「お父さん、ダンプ何処へやったん?」
「はぁ?。俺は知らん。車検に出したんちゃぅんか?」
「えぇぇ、俺はお父さんが使ってると思ってた」
「俺は忙しいのに使うわけがない」
で大騒ぎに。
警察に通報して、被害届を出した。
しばらくして、ダンプは見つからないが、満載にしていたゴミが見つかったそうな(他人の敷地に不法投棄されていたそうな)
その処理も無事終わり。
夫婦の会話。
「そういえば、今朝2時ころ、けったいな夢にうなされて、目が覚めたんや」
「あっ、2時ころやろ、『ダラちゃん』(我が家の老犬で、近頃はかなり目や耳が弱っています)がえらい鳴いてたわ」
「あっ、それで目が覚めたんか?」
「かわいそうに痴呆が進んできたんやろか?って思ったんや」
「この頃、かなりボケてるもんなぁ」
どうやら、ボケてきたのは我々夫婦の方で、『ダラちゃん』はしっかりしているらしい。
自転車にはまっている。
電動アシスト自転車恐るべし。
当初、近場をうろうろするために買った。
ところが段々距離が伸びて、箕面市の東端近くまで自転車で行くようになった。
坂道も楽々だ。
ほとんど力を入れずに乗ることができる。
先日は、コムスが嫌がる『牧落5丁目』や『桜井3丁目』の急勾配の道も乗り切った。
私のペースに合っているのかもしれない。
車や、コムスで訪問させていただく時は。
狭いところや、車が頻繁に行き来する道沿いは、つい敬遠しがちだったが。
これなら、通れない道はほぼない。
駐輪できないところも皆無だ。
問題は、強い直射日光の対策だ。
これには参ってしまう。
かといって、帽子を被るわけにもいかず。
日傘をさすわけにもいかない。
何か良いアイディアが見つかれば、また報告したい。
選挙が近づいてきて、また太りだした。
いや、選挙には関係なく夏になったからかもしれない。
体重はほとんど変わらないのだが、ウエストは一回り太くなった。
思い当たるのが、ビール。
暑くなれば、よく冷えたビールが最高。
夕食時には、つい飲んでしまう。
去年の反省もあって、350cc缶のビールを買っている。
ところが350ccじゃ物足りない。
ついつい2本目に手が届く。
というか、最初から冷蔵庫から2本取り出して並べてある。
太ってくると、座っているのが苦しい。
苦しくなって気付く。
「ダイエットしなくては」
で、今回は500cc缶のビールに替えた。
「こりゃぁ、我ながら好い事に気づいた。これならおよそ3割カットになるやん」
今度は500cc缶を2缶飲むようになるのが心配だ。
そぅ、昨年のように。
箕面市内をくまなく回っていて、気になることがある。
桜ケ丘、百楽荘のように、きれいに整備された街並みと。
いわゆる『ミニ開発』と称される街並みとのギャップだ。
そこそこの広さの道が出来ているのに、入ってみれば『袋小路』状態だ。
もう少し工夫をすれば1本の道で繋がり、一挙に利便性が高まると思うのだが。
先日もそんな開発場所に出くわした。
何故、このような開発事業を認めたのだろうか?
理解に苦しむ。
新しい街ができるとかで、真ん中の道を入れば『袋小路』
開発地の横を見れば両サイドに立派な道があるのに、開発地の横だけが細くなって、その道もこちら側に通り抜けることができない。
消防団活動をしていたとき。
火災現場に急行したが、地図上はすぐ隣なのに、大きく迂回せねばたどり着けないことが度々あり。
『こんなまちづくりをしていたのでは、箕面市の発展はありえない』
って、思い。
度々、一般質問で整備された街並みの大切さを訴えてきたのだが。
なかなか思うように、ことは進まない。
今日もほぼ昨日の続きで、聞いていて『なるほど』と思った話です。
『市役所の人達は、自分たちがやらねばならない仕事を我々に押し付けて、えらそうに指示をする』
確かにそうだ。
私にも経験があるが、家業が農業や自営業なら必ずと言ってよいほどPTAの役員候補に挙げられてしまう。
一度引き受けてしまえば。
「あの人に頼べば引き受けてくれる」となり。
仕方なしに引き受けていると、やがては。
「あの人は役が好きやねん」とまで言われてしまう。
このような『心無い陰口』で嫌な思いをしている人が多いことも事実だろうと思う。
やっていることに対する正当な評価が得られないというのも、ボランティアを続けるが嫌になる大きな理由だろうと思う。
イヤイヤやっているにもかかわらず、やらされるのは学校だけの役にとどまらない。
地域の様々な役割をこなし、そつなくこなせば地域の代表として、行政の一端をも担うことになる。
行政と地域との狭間に立ち、地域の皆様にご協力を求める立場に立たされてしまう。
そんな私に、
『上から目線で支持するな!』
『職員さんの口から慰労のことばがあれば救われるのに』
というのが本音かな?と思った。
パソコンがサクサク働いてくれるので、気分が好い。
すでに『中井ひろゆき後援会』に入会していただいている方、新たに紹介していただいた方のお宅を訪問して、いろいろなお話を聞かせていただいています。
話題の中には、『なるほど』と思える話がたくさんある。
桜井駅前が大きく生まれ変わろうとしている。
きれいなマンションが姿を現し、その1階部分にはお店屋さんができるらしい。
歩道が広くなり『歩いて暮らせるまち』になるらしい。
桜井で営業されている商店の方に聞いた話。
「中井さん、まちが綺麗になって嬉しいんですけど、問題もあるんですよね」
「なんです?」
「うちの店は、自転車で来てくれるお客さんが多いんですよね。その人たちのために駐輪場が必要になるんですけど、これがなかなかむつかしいんです」
確かに『歩いて暮らせるまち』とはいっても、桜井駅前まで徒歩圏の人達だけなら利用者が限られてくるだろう。
買い物なら荷物が多くなるだろうし、徒歩圏内の距離でも自転車を利用する人が多いはずだ。
だからと言って、折角広くなった歩道にたくさんの自転車が放置されているのも、見苦しい。
話を聞かせていただいて。
1時間以内なら無料になるような駐輪場を整備する必要があると思った。
悪戦苦闘の1週間だった。
いつも普通に使っているものが調子を崩すと、これほど影響が出るものかと思い知らされた。
先ず、プリンターの調子が悪くなった。
普通にプリントアウトしてくれる時もあれば、してくれないこともある。
してくれないことが多くなり。
やがては、ほとんどしてくれなくなった。
かと思えば、気分の良い日にはサクサク働いてくれる。
意を決して、プリンターを買うことにした。
量販店を回ったが、思うようなものに出会えないので、アマゾンで買うことにした。
ところが、送られてきたものが類似品ながら、数代前のまるで違うものだった(かなり古いモデル?)。
早速、返品の手続きをしようとしたのだが、出品者への電話が通じない。
どうやら、だまされたようだ。
まっ、何とかアマゾンへの返品の目処が立ったものの、まだ返品できずにいる。
もぅ2度とネット通販は嫌だ。
で、近所の量販店でプリンターを買ってきた。
順調にセットアップが進み。
後はパソコンと繋ぐだけ。
と、ここでトラブル発生。
今度は同封されているドライバー用のCD(DVD?)を読み取らない。
これでは、ファックスや、コピーは使えてもプリンターの用をなさない。
仕方なく、ネットからのダウンロードを試みたが、もう一歩のところでパソコンがフリーズ。
『頭をかきむしる』しかなかった。
結局2時間ほどかけてパソコンに、ネットにつながらない原因を追究してもらい。
何故CDを読み取らないのか、原因を探してもらい。
解ったことは。
2か月近く前に、CDからのデーターを読み取り。
それに上書きしたものをCDに書き込むのではなく、スティックに新たなデータとして書き込んだのがパソコンにとって気分がよろしくなかったようだ。
CDに書き込むべきデータが消去されずに、『あっちにうろうろ』『こっちにうろうろ』しては、様々な障害を起こしていたのだろうか?
やっと、昨日の午前中から普段通りにパソコンが使え、新しいプリンターで仕事ができるようになった。
昨夜7時から『中井ひろゆき市政報告会及び決起集会』なるものを開催しました。
箕面小学校のコミセンの大会議室が満員になる盛況ぶりだったことを感謝します。
1時間の予定で始まった会で、私の持ち時間が30分の予定でした。
つい2,3日前までは、『台本もなしに適当に、しゃべろうか』と思っていたのですが。
「中井さん、折角パワーポイントが使えるのだから、使ったほうが解りやすいよ」
「そーかぁ?なんかパワーポイントに逃げてしまっているように思って、いややねん。正攻法の口先だけで聞いてもらうほうが好ぇんちゃぅかなぁ」
「いやー、絶対使ったほうが好ぇ」
結局、専門家の意見(彼は、イベント等の仕事も手掛けている)を聞いて、パワーポイントを使った。
自分なりの時間配分を考えて作ったのだけれど。
思ったよりも、後半の『市街地内の農地をどのように守り、活かせるのか?』という話題の食いつきがよかったので。
話が弾み、時間が10分ほど長くなってしまった。
昨日の決起集会が決してゴールではなく、どちらかといえばこれから4週間が本番で、昨日の会がスタートなはずなのに。
ぐったり疲れてしまった。
3日前の夕方、急に孫が私の部屋に飛び込んできた。
「ジジ、大変や!天皇陛下が辞めるんやて」
「はぁ?」
「今、ニュースで言うてるねん。年号とかどぅなるん?」
「って、天皇陛下がお亡くなりになられたんか?」
「違うねん、生前何とかで、辞めるんやて」
「どないか解らんなぁ、ニュース見てみるけど、辞めるちゅぅても、法律があって辞められんようになってるんやけどなぁ」
一連の騒動はご承知の通りだと思います。
が、
私が驚いたのが、中学生の孫がこの問題に反応したことだ。
確かに、歴史上の人物が好きだということは知っていたけど、これほど『天皇陛下』に敏感に反応するとは思わなかった。
あまり世相に鋭くないほかの孫も一応に反応しているようだ。
私にしても、確かに他の話題より数倍も関心がある。
そして、ことがことだけに、政争の具にもなりにくく、世論がまとまるのではないかとも思う。
新聞の解説を読んでいると、皇室典範だけでなく憲法にもかかわることが想定されるらしい。
改憲論争がやかましいけれど。
案外、こんなところから火が点いて、憲法の見直し論が浮上してくるのかもしれない。
今朝ニュースを見ていたら
「消費税が8%になったことにより、消費が落ち込む状態が続き・・・」
と言ってたが。
このコメントは、私の感覚と少しずれているように思う。
私の感覚では、私が以前ほど消費行動に出ないのは。
消費税の増税というより、『欲しい』と思うものが無くなっているからだと思う。
国民の消費力が低下しているのは、消費意欲を掻き立てるものが無いのが原因であって、その物の価格が3%(消費税の増税分)が値上がりしたからではないように思う。
高齢化が進み、欲しいものが無くなっているのか?
『生活ががらりと変わるほどの物』が出てこないのか?
いずれにしても、かつての『3種の神器』のように、『無理をしてでも欲しい』と思えるものが無くなったように思う。
私には、今朝のニュース内のコメントは的外れとしか思えない。
マスコミはもっと本質を見極め課題を追及してほしい。
何を創れば、国民が買おうとするのか。
国民は何を求めているのか。
それを探し当てるようなことに尽力しないと、新たな消費意欲は向上しないだろうし。
日本が世界の消費をけん引するような立場には立てないだろうと思う。
マスコミが、安直に犯人探しをしているようでは日本の産業界がダメになってしまうと思う。
先日(かなり前ですが)、何気にNHKのニュースで取り上げていた『各地の話題』を見ていて驚いた。
私が、「ヤギ」というタイトルでブログに書き込んだことを実践している人たちを取り上げていた。
私が2010年6月28日に書き込んだ内容は。
近所の公園の草刈りをするのが大変だ。
ニュージーランドのオークランドの公園では、牛を放牧して、牛に草刈りをしてもらっている。
これは妙案だと感心したが、『牛のふん』が落ちているのには閉口した。
ならば、ヤギを放牧すればよいのではないか。
といったもので、拍手を10個いただいた。
「えっ、こんな書き込みで、拍手をくれるの?」
その時は、半信半疑だった。
ところが、このアイディアを実践しているのに驚かされ。
それが、繁盛していることにさらに驚き。
NHKで取り上げられたことで、びっくり仰天だった。
そぅいえば、今までのアイディアで『ぽしゃった』もので、是非とも復活させたいものがある。
障害者の雇用に繋がる話で、農業公社とタッグを組んでもらえれば実現可能ではないかと、今でも思っている。
農業公社が借りている農地で、障害者にもお手伝いをしていただく。
生産物は農業公社が一括管理して、学校給食や宅配事業で活用する。
宅配を希望する人は、前日までにファックスやネットで注文する。
各地区を受け持っている障害者宅にその品物を配送する。
後は受け持ち地区を宅配してもらう。
というものです。
勿論、地産地消が前提にあるのですが、すべての農産物を箕面産というわけにはいきませんので、農業公社が学校給食の仕入れを担当しているのだとか(実態はどの程度なのかは解っていませんが)。
それならば、食品の発注ができると思ってのアイディアです。
何年後かに、箕面以外でもOKですが、
「これが軌道に乗ってます」
って、テレビで放送されたらうれしい。
昨日の参議院選挙の大阪選挙区結果を受けて思うこと。
自民党は、松川候補を担ぎながら『大勝』できないどころか、維新の二人の票数を足せば完敗に近いものがある。
選挙結果を見て思うのは、『負けるべくして負けた』というのが否めない。
確かに、自民党の議員と、維新の議員とでは選挙に対する心構えが違う。
私の活動は、維新の議員ほど熱心ではないかったように思う。
何故違うのかをいろいろと考えてみた。
私の場合は『自民党』ではなく『自分党』のような気がする。
自民党の考え方が絶対に正しいと思うから、自民党に入っているのではなく。
自分の主義・主張に一番近いと思えるのが自民党だから、自民党に入っているのである。
『何が、何でも自民党政権を守らなければならない』
といった強烈な意思があるわけでもなく。
『こんな世の中が続けばうれしいかな?』
といったかなり『ぬる~い』考えである。
現状に対し、強烈な不満もなく、『世の中を変えねばならない』といった強い欲求もない。
こんな議員が、選挙活動をやるのだから『推して知るべし』だ。
勿論、他人の選挙だけではなく、自分の選挙に対する考え方も同じようなもので。
先日の役員会議でも
「スミマセン、私は他人に物事を頼むのが苦手でして。もっと積極的に頼めばいいのですが・・・・」
と言ってしまい。
「そんな心がけでどうするんだ!選挙は戦なんだ」
と叱られてしまった。
勿論、これではいけないということは『百も承知』だが。
脱皮できないでいる。
持って生まれた性格だろうか?
65年間生きてきた経験に基づくものだろうか?
『家を守っていく』ことを使命として育てられ、生きてきたのだから仕方ないのかもしれない。
逆に言えば、もっと一生懸命『党活動』に汗を流すような性格なら、きっと自民党から袂を分ったような様々な『新党』と呼ばれるようなところに行ってると思う。
大きな『ぬる~い』集まりから、我慢できずに出ていく集団がある。
彼らは、常に目標を掲げて突っ走らなければいけない。
それに加わることなく、『ぬる~い』集団に居残り続けているのが我々ではないのだろうか。
このような考え方の集団が日本を引っ張ってきたのだから、日本の政治が安定しているのかもしれない。
パソコンの前で、汗をかきながら『中井ひろゆきの市議会報告』を作っています。
私の報告紙は新聞みたいで文字が多いらしい。
「読み応えがある」
といった肯定的な意見もあるが。
「あの字数を見ただけで、読む気がせんわ」
「字が小さいから読み辛い」
という否定的な意見がよく聞こえてくる。
初めて市議会報告を出したころ、道端に捨てられてあった私の報告紙を見て衝撃を受けた。
一色だけの小さな字。
イラストどころか写真もない。
これじゃぁ捨てられるのも無理はない。
それから試行錯誤の繰り返しだ。
イラストや写真を入れたり。
グラフや表を作ってみたり。
文字の形や大きさを変えてみたり。
QRコードを張り付けたり。
様々なことをやっている。
ふと、気付いた。
『これって、自分の趣味じゃねぇ?』
とにかく、楽しくやってます。
久しぶりに、スマホで書き込んでいます。
スマホで書き込むなら、フェースブックのほうが簡単なのでついついそっちに行ってしまいます。
それと、アップできる写真が綺麗なこともフェースブックに行ってしまう大きな要因です。
しかし、先日ウェブに詳しい人に指摘された。
「ブログなら誰でも見れるが、フェースブックは加入しないことには、見ることができないから、もっとブログに力を込めるべきだ」
う~ん、そういうものなのか?
まっ、どちらにしても。
一文字ずつ、悩みながらしか書き込みが出来ず、
書き込みが終われば、毎回肩を凝らしているようでは、難しいものがある。
うちの嫁は『たいへん』らしい。
周りに気を遣うのだとか。(あれで?)
とかで、選挙前になったら痩せるらしい。
私はというと、選挙が近づくたびに太ってくる。
選挙が終わるころには3~4kgは太ってしまう。
勿論自分選挙だけでなく、他人の選挙も同様である。
昨年の統一地方選挙だけは、さすがに選挙前は少し痩せたが。
終わってみれば、1kgちょっと太っていた。
うちの嫁は『徳だ』
本人(私)は能天気でぶくぶく太り。
嫁だけが気を使って、痩せていく
世間からは『あの婿に比べて、よくできた嫁だ」と評価してもらえている。
私は、腹が立つから、必死にダイエットしている。
ダイエットの効果が少しずつだが表れているように思えてうれしい。
遠縁にあたるお家にあいさつ回りに行った。
おばさまが開口一番
「博幸さんどうしたん、えらい痩せたんちゃうん?」
「えっ、そうですか(^-^)/。えぇ、(ダイエットを)頑張ってますねん」
「気ぃつけや。どっか悪いんちゃぅ?日頃から元気そうな人が危ないんやから」
俺は、『太っても』『痩せても』正当な評価はしてもらえないらしい。
まだ前回の続きのような書き込みで、ごめんなさい。
書き込みをしながら、どうにも消化不良を起こしているような気分です。
私自身、『市民を巻き込んだまちづくり』が大切なことが分かっているのに、なぜ躊躇してしまうのか?
『市民を』といえば特定の団体が出てくることに対するアレルギー反応があることに尽きると思います。
その団体に所属すると思える人たちが参加すると、対話にならなかったという苦い経験があるからでしょう。
勿論、住民の間で反対意見が大半を占めているのなら、自分が望む結果を押し付けてはいけません。
しかし決してそうではないと思います。
極少数と思える意見を声高に叫び、時には『話し合いの場』そのものも否定しかねません。
それでいて、民主主義の大切さを訴えます。
言ってることと、行ってることが正反対のように思うのは、私だけでしょうか?
本当に、その地区のまちづくりを真剣に考え、課題も含め前向きに取り組むような『市民を巻き込むまちづくり』ができないものでしょうか?
できたら嬉しいのですが。
様々な意見の人達と上手に付き合っていくことこそが、民主主義の理想でしょうかねぇ。
先日の会議で、某委員さんの発言で『箕面市は市民を巻き込む形の事業展開が下手だ』と言われハッとした。
という、話の続きです。
このことに思い当たることが、いくつかあります。
西南公民館の建て替えについてもそうだ。
最初から、もっと広く意見を聞いておけば、こんな混乱に陥らなかったと思う。
勿論、賛成もあれば反対もあっただろう。
しかし、丁寧な説明をして、たとえ51%の住民を巻き込んで計画を遂行しておけばよかったのにと、いまさらながらに思う。
先日、関係者と思える方とお話をさせていただいたが
「当初の懇話会での決定はいったい何だったんだろうか」
と、ぼやいておられた。
今度は船場駅前に設置される、新御堂筋をまたぐ陸橋の下り口の場所を巡って、またぞろ同じような話になってきている。
『新御堂線の側道に下り口を作れば危険が増すかもしれないが、公園の景観が守れる』
という説と
『公園まで延長することで利用者の安全と利便性が向上するが、一部公園を改修する必要が生ずる』
という説。
勿論、両方好いということはない。
どちらかを一部でも犠牲にせざるを得ないんだろうと思う。
どちらを犠牲にするにしても、反対は当然のように出てくる。
理事者に求められるのは、
『冷静に判断を下して結論を出す』ことと、
『出した結論は絶対に変えない』加えて、
結果どうなろうと『責任はとる』という覚悟だろうと思う。
与党側の議員に求められるのは、
『理事者が結論を出すまでは、異論を唱えて叛意を求めても、出た結論についてはとやかく言わずに受け入れる』ことと
『理事者と市民をつなぐ、市民にとってより身近な存在として、市民と伴にその事業が成功するように活動する』ことであって、
自分が反対派の先頭に立って、理事者側に圧力をかけることだけは、絶対に避けねばならないと思う。
先日来、議会改革と称して移民との意見交換会が開催されるようになっているが。
議員がそれぞれの団体の課題をお聞きして、その課題解消に向け活動することは大いに結構な事だし、これからもなお発展させるべきだと思う。
しかし、一部の反対派の意見を実情より大きく取り上げ、議会が騒ぎ立てることは慎まねばならない。
市政を混乱させるだけであり。
箕面市政が混乱した時期に戻すだけのことになってしまう。
あまりの忙しさに小ネタを探す気力もなく。
一度無くしてしまえば後は『ずるずる』といってしまった。
今日は、久しぶりに面白そうな小ネタに出会えたことと、『各種総会への準備』に加え『田植え』『議会活動(当たり前ですが)』等々の作業が一段落したことで日常の作業(挨拶回り)に専念できるようになった。(^-^)/
で、ひさしぶりの書き込みです。
今日、「北大阪急行線延伸事業(手元に資料がないのでええ加減な名前を付けてしまっています)の総会が開催された。
私はこの総会には初めての参加(交通対策特別委員会委員長という立場での参加らしい)だったので、「まっ、30分のシャンシャン総会』だろうと勝手に思っていた。
と思っていたが、えらい議論が白熱して予定終了時刻ぎりぎりまでの1時間30分も行われた。
その中の発言を聞いていて、つくづく『そうだよなぁ~』と思えることがあった。
その委員さん曰く
箕面市は住民を巻き込むことが下手だ。
一例をあげると、箕面駅近くの市営駐車の建て替え工事の時、最初に計画について説明があったきりで
「今後も逐次説明させていただきます」といったきり何の説明もないまま施設が出来上がった。
「なぜ、もっと頻繁に地元と協議を持たないのか?そんなだから、せっかくの施設に対し地元住民や商業者に愛着が湧かないのだ」
「船場地区に阪大の箕面キャンパスができて、若者の街にしたいのならもっと徹底的に大学生をこき使うべきだ。大学生に汗をかいてもらってこそ、彼らが望むまちづくりができるんじゃないんでしょうか」
私が感じたことは、市が行う事業が市民目線から離れてしまって、『市がやることだから間違いないんだ。とやかく言わずに市に任せておいてくれ』という『おごり』が見え隠れするように思う。
どんなに立派な施設や、まちづくりがなされようと。
最後にそこに『たましい』を吹き込むことを忘れてはいけないと思う。
その街づくりに愛着を持って暮らしていくのは、市職員ではなく『そこに暮らす住民』だからだ。