今回の選挙結果を見て。
つくづく嫁に感謝です。
選挙期間中、本当に多くの皆様方にお出でいただき、ご協力をいただきました。
相も変わらず不愛想でマイペースな私。
街宣活動から帰ってきても、すぐに自分の空間に潜り込みます。
折角来ていただいているのに、『おべんちゃら』を言うわけもなく。
「えっ」という間に素通りです。
嫁が居なくて私だけなら、殆ど人は集まらなかったと思います。
あちらこちらに挨拶回りに行っても。
「いつも奥さんに・・・」
「多佳子さん、お元気ですか?」
と、嫁の話題ばかりだ。
「議員は仕事ができればいいんだ」
と、うそぶく私。
「あんたみたいなことを言ぅてたら、落ちるわ。滑ったら何も出来ひんねんで」
と一人気を揉んでいた嫁。
まっ、この4年間も嫁をハラハラさせながら、楽しみましょうか。
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いよいよ今日が市議会議員選挙の最終日。
何とか、元気に乗り切りたい。
そして、何とか当選させていただきたい。
選挙戦。
勝たねば意味が無い。
しかし勝つことだけが目的ではない。
本来の目的は、議員になれた4年間でどのような仕事をするのか?
だと思っている。
昨日の市長との合同スポット。
応援に駆けつけてくださった、原田総務副大臣
「新人さんは別ですが。本来、選挙はその人がこの4年間どのような仕事をしてきたのか、評価するものです」
と言ってくださった。
本当にそうであれば嬉しいのに。
市長のことば
「この中井議員は、議員さんの中で、一番多く市長室に来ます。本当にうるさい議員です」
これが、私にとっては最高の褒め言葉だと思っています。
再び議員になれたら、『もっと・もっとうるさい議員』になりたいと思います。
私にとって、
この選挙はゴールではなく。
スタートです。
ゴールは、4年後。
4年後、次の選挙に『出る価値』が無いと自分で判断すれば、きっぱりと辞めます。
議員は名誉職でもなければ、ただの『お飾り』でもない。
『うるさくない議員』など、なんの価値もない。
議員として価値がなくなったと思えば、もぅ辞めます。
街頭演説で、相も変わらず(こんな漢字で合ってましたっけ?)田んぼや畑の話をしている。
「あんなん、あかんで」
と嫁が言う。
「そ~かぁ」
「昔からの村に行ったら、田んぼや畑に興味があるやろうけど。マンションに住んでる人が解るか?」
「そ~かぁ」
「自分らに関係ないって思うでぇ」
「そやろか?」
「絶対そぅやって」
「ほんだら『大阪都構想』は、お前に関係有ったかぁ?」
グッと詰まった嫁。
畳み込むように。
「あの時、サンプラザの8階で府議会議員の決意表明か何かで、大阪都構想についてしゃべってたんやな。最後の質問のコーナーで一人の人が手を挙げて。『都構想は大阪市のことや、これで箕面市がどのように変化するのか教えてほしい』って言わはったんやな。この時だけは、さすがの府会議員も同席していた倉田さんもグッと詰まってしまって、何も言ぇなんだ。演説なんてそんなもんやねん」
「ふ~ん」
嫁を言い包めるのは簡単だ。
しかし鋭いところを突いてくる。
確かに、『私たちに関係ないわ』って思われてしまえば、それでお終いだ。
そぅ思われないように、工夫しなくては。
昨日から、街頭演説を開始しました。
訴えているのが市長が提唱する3本柱の
子育てしやすさ。
安全、支えあい。
緑、住みやすさ。
のうち、緑と環境に絞った話です。
街なかに点在する田や畑の大切さ。
これらの農地に対する国の考え方の変化(宅地化すべきものから、そこにあるべきもの・無くてはならないものへ)
これらを踏まえて
私が、何故6月議会で『箕面市都市農業振興地方計画の策定』を求めたのか?
と言った内容です。
農家にとって、田や畑は何物にも代えがたい大切な財産であること。
しかし農業従事者の高齢化で田や畑の管理が出来なくなってきたこと
草が生い茂れば隣接する農家や近所から苦情が来ること
仕方なく手間のいらないように宅地化してしまう農家が多いこと
一方。
定年後に土に親しみたい・野菜等を作りたいと思う人たちがたくさんいる
相続税猶予を受けた農地は誰が耕作しようと、農地として活用されれば問題ないはずなのに、自分で耕作しないといけないという縛りがある。
市民農園以上の広さの農地を非農家の人が耕そうとすれば、様々な壁にぶち当たる。
私は、これらを打開したい。
誰にでも持っている農地の管理を任せられる。
誰もが農業に参入でき、そこでできた野菜を朝市や中学校給食に出荷できる。
これが実現できれば。
農家の人は、大切な財産である農地を守るために相続税猶予を受ける農家が増える
定年後の楽しみ方の選択肢が増える
箕面市の住環境が守られる
まさに『三方好し』の施策になる。
と訴えています。
与党派の議員は、自分の人気取りのための大衆迎合主義的な動きをしてはならない。
予算が必要とする事業を市長に提案するのではなく、いきなり議会に提出するのなら。
その効果も議会にはっきりと示すべきだ。
市の予算は限られている。
究極の言い方をすれば。
議会は、限られた予算をいかに有効に使う(事業化させる)のかを議論する場だと思う。
理事者(行政)側が出してきた予算案でも、効果が無いと思えるようなら削らせる。
皆様から集めた税金を一銭たりとも無駄にするべきではない。
先日来書き込んでいるが。
今は、日本国中どこの自治体に行っても、国から決められた事業を粛々と実行しているのではなく。
それぞれの自治体の判断で、特徴のある事業を展開しようとしている。
箕面市も、子育てや教育、安全対策、健康診断など他市にない事業を展開している。
一方、他市が当然のように実行している事業でも、『費用対効果』で難があると思える事業は実行していない。
その事業費を箕面市の独自事業に充てているのだ。
予算を絞るだけでなく、事業効果を見極め『メリハリの効いた』事業展開を行おうとしている。
そして予算を組むのは『市長』の仕事だ。
議員が自分の支持者(人気取り)のために、大衆迎合主義的な予算要求をする。
市長も負けてはならない(その議員に)のでそれ以上の事業を展開しようとする。
これでは肝心の多くの市民が置いてきぼりを食った形で、事業費が膨らみ財政を圧迫する。
議員は、自分の考えを市長に、様々に提案をして。
市長も各議員から出された、様々な情報を加味して。
与党派の議員は、市長から示された答え(議案)は尊重しなければならないと思う。
よほどのことが無い限り、否決や修正案の提出はするべきではなく。
真に必要な時は、理事者側に取り下げや、修正をさせるべきだ。
理事者と議会が、議場で対立する構図は、『市民不在』になりかねない。
地方分権で、地方自治体の経営方法が大きく変わったと思う。
今迄のように。
国や、府から言われたことをやることしかできなかったのが。
自分で、工夫ができるようになった。
自分たち独自の自治体経営が可能になった。
全国どこでも同じではなく。
特徴が出せるようになれば、地域間競争が生まれてくる。
同じような利便性や住宅価格なのに、勝ち組と負け組が生まれてくる。
地方分権から地方創生の時代にになって、この傾向がもっと顕著になってくるのではないだろうか?
箕面市は、こんなことをしたいのだけれど。
国のこの規制が邪魔になって事業が進まない。
この規制が外れるようにしてほしい。
とか。
箕面市の発展のために、この事業は絶対に必要だ。
この交付金をこの事業に使うことができないだろうか?
使えたら、きっと他の自治体も喜ぶと思いますよ、一度試させてください。
とか。
地方自治体から、アイディアを出していかなければならない時代になった。
箕面市は、国や府がしてくれることをじ~っと待っているだけでなく。
自分から動かなければならない。
そんな時代に突入した箕面市にとって、どのような議員が必要なのかは自ずと知れてくる。
自分からアイディアを出せる。
そのアイディアを国や府に問い合わせ、アドバイスをもらえる。
いや、国や府に対し独自に働きかけるくらいの力が必要になってくるのかもしれない。
議会中でなくても、市役所に出かける議員さんがいる。
私もその一人だ。
私の場合は、別に用事があるわけではない。
役所に行って、資料を読んだり。
報告紙の作成をしたり。
とにかく可能な限り毎日の出勤(?)を習慣づけようとしている。
毎日役所に行くことを習慣づければ、どんな相談もおっくうにならない。
私は忘れっぽいので、依頼されたことは次の日には担当者と相談することにしている。
そして、数日後にはその進捗状況を確かめるために担当者に会いに行く。
依頼が実現出来ないのなら。
何故実現不可能なのかを聞かせてもらう。
原因を探ることで、折衷案を示すことが可能だからだ。
折衷案が思いつけば、即座に動く。
相談者と担当者に折衷案を示すのだ。
両方の話を聞いていると。
「なぁんだ。そんなことでこだわっていたのか?」
とか。
「そこを改善するだけでいいの?」
といった話が結構ある。
相手にとっては些細なことでも、本人にとっては本当に重要なことだと思ってることも多い。
それを読み解き、折衷案を出すのが私の仕事だとさえ思う。
上手く両方の思いがかみ合えば成功だ。
ほとんどの場合、相談者からお礼の電話が入る。
間髪を入れず、その感謝の気持ちを担当者に伝える。
「ありがとう。ついさっき・・さんからありがとうって電話があったわ。本当に助かりました。ありがとう」
今朝は、珍しく嫁が『早起き』をした。
思わず
「えっ、もぅ起きたん?どっか調子が悪いんか?」
と聞いてしまったほどだ。
私はいつも通り、朝食を食べ。
いとおしい『スイカ』の写真を撮り。
事務所にこもって、ブログを書き込み。
さぁ、これから書類等の最終チェックと思っていた矢先に、嫁が事務所に飛び込んできた。
「あんた、たいへんや!」
「ど、どないしたんや?」
「庭の・・に虫が付いてる」
「はぁ。何が大変やてぇ?」
「せやから、・・(はっきり解りません)に虫が付いてる。地面にフンが落ちてるねん」
「お前なぁ。頼むからもぅいっぺん寝といで」
「なぁ、俺は忙しいねん。解るやろ」
「俺の仕事の邪魔をするな!出ていけ!」
早朝から大騒ぎの我が家です。
今日から市議会議員選挙が始まります。
この選挙で、私は有権者の皆様に『一つの問いかけ』を行いたいと思います。
「皆様はどのような議員を望んでいらっしゃるのでしょうか?」
『身を切る改革』だといって、議員の安売りをしようとする団体があります。
議員は安ければいいんですか?
私は違うと思います(`o´)
議員としてしなければならないと決まったこともやらずに、『身を切る改革』と言われても・・・・(;_;)
きちっと仕事をしている議員さんが『身を切る改革』を提唱されているのなら、大いに賛成ですし。
反対する余地などありません。
反対することすら、恥ずかしいと思います。
今迄のように、どこの自治体も同じ施策をやらねばならない時代ではありません。
それぞれの自治体が、独自色を競い合い。
『どのように地域間競争に勝ち抜いていくか』
が問われています。
市長も、議会も全身全霊をかけて『ことに当たらないと』地域間競争に勝ち抜くことがむつかしいです。
私は議員の『安さ』より『質』が大切だと思います。
私が配らせていただいていた『討議資料』の『中井ひろゆき後援会 入会のしおり』の見開きページに。
口先だけの政治はいやだきれいごとばかりの政治もだめだと書かせていただいた。
私のところにも、様々な市政相談が有る。
というか『有った』というべきかもしれない。
初当選当初は、本当に様々な市政相談が有った。
市議会報告を出せば、その後しばらくは特に多かった。
家にも、役所の部屋にも『名指し』で相談があった。
当初は、理不尽とも思える相談にも対応させていただいてはいたが。
そのような相談事がうまく解決できるはずもない。
そんな話を行政側に持ち掛けても、こちらの常識を疑われるだけだということに気づかされた。
そこで、相談内容によっては実現が不可能であることを相談者に素直に申し上げることにした。
この作業が結構大変で、罵声を浴びせられることもしばしばだった。
しかし、何人かの人とそんな遣り取りを繰り返す中で、一人の人との会話が印象的だった。
「あんたは、『そんなことはできません』っていうけど。・・議員(革新系の議員さんでした)は『その通りですねぇ』と言って改善を約束してくれた」
「なら、その議員さんにお願いすればいいじゃないですか?」
「それが、口先ばっかりで・・・・」
「そぅですか。失礼ですが、お宅の要望は私には実現は難しい思います」
と言って、その理由も延々と述べさせていただいた。
そして、その相談を境に、そのような相談事は皆無といってよいほどになった。
議員は、市民の皆様より様々な市の現状を知る機会に恵まれているのだろうと思う。
相談者に対して、市の実情を詳しく説明するのも議員の大切な仕事ではないのだろうか。
続きを読む
北大阪急行線が延伸され(仮称)新箕面駅が実現する。
私は、駅に直結するところに朝市を作ってほしいと思っている。
農産物の直売所は、消費者にとっても魅力あるものだし。
すぐ駅前に地元産の野菜が売られているのは、箕面らしくっていいじゃないですか。
朝市だけでなく、その周辺に農業公社が経営する近郊の農家が軽4のトラックの荷台で野菜を直売できる輪島の朝市のようなスペースを作ってほしい。
勿論そこには昨日書き込んだような『プチ農家』の人達も売ることができるスペースもいいだろう。
農業を続けていくためには、農産物を換金できる場は不可欠だ。
その機会も多ければ多いほど良い。
それで新たに農業にチャレンジしようとする人たちが出てくる。
法律の規制を緩めることで、農業従事者が増えれば、初めて箕面の農地が守られる。
農地が守られることで、住環境が守られる。
住環境が良くなれば、箕面の魅力が高まる。
と思う。
いつも書き込むが。
どうすれば農地を守れるのか?を、理論立てて議論するのではなく。
精神論や理想論だけを農家に押し付けては、農家が迷惑するだけだと思う。
人口減少期を迎え、宅地開発だけじゃ早晩行き詰るのは、殆どの農家の人たちも理解しているだろう。
新築の家が増える一方で、空き家が増えてしまう。
このままいけば、財産であったはずの土地が、農家の重荷になる時代もそう遠くない
箕面市は、将来を見越して『箕面市立地適正化計画』を全国に先駆けて策定した。
今度は、市民全体の財産価値を守るために『箕面市都市農業振興計画』を策定すべきだと思う。
漁業の経営形態も様々にあると思う。
大型船を使った遠洋漁業もあるだろうし、定置網を使った沿岸漁業もあるが。
私が、注目しているのは『釣り船型』の漁業だ。
漁師さんが、自ら漁をして魚を売り生計を立てるのではなく。
お客さんに魚を釣ってもらい、自分はその手助けをすることで生計を立てる方法だ。
釣れない『釣り船屋さん』は、当然潰れるだろうが。
交通の便さえ良ければ(もちろん漁場としての評価が第1ですが)お客さんは来てくれる。
釣りをする人は、釣れた魚の価値は度外視しているように思う。
都市近郊農業を発展させるには。
この『釣り船型』の経営方針が一番適しているように思えてならない。
作った野菜を自家消費するだけの一坪農園でなく。
小さな管理機があればこなせる150坪程度の農地で、生産した野菜を『朝市』や『学校給食』に出荷すれば、生産意欲もわいてくる。
農業公社は農業技術の指導や、プロ用の農業資材の斡旋、大きな機械でないとこなせないような作業の請負。
そして、学校給食で買い付けたり、朝市への共同出荷のお手伝いをする。
農業を趣味にしている人にとっては、魅力あるアイディアだと思うのですが・・・・。
農業はもうからない。
農業だけで生計を立てようとすれば、至難の業だ。
都市農業となればなおさらだと思う。
その理由は農地が集約されてないことが一番だろうと思う。
集約されてないから、思い切った投資もできないし、効率的な経営もむつかしい。
勿論、そのような中にあっても専業農家も存在する。
彼らは、高い技術力と本当によく働くことで、経営をなりたたせている。
長年やってきた農家でさえ経営がむつかしい農業を『農業公社』がうまくやっていけるのだろうか?
まして、耕作するのは耕作放棄地だ。
耕作放棄地になったのは、様々な理由があったろうと思う。
その家に農業従事者が居なくなったのが大きな理由だと思うが。
遠隔地であったり。
水利が悪い、接道していない等、やはり条件の良くない農地だと思う。
ならば、どぅすれば農業公社の経営が安定するのか?
農業経営がうまくいく条件は、いかに安価な労働力を確保するのかにかかってくる。
そのためには前にも述べたように。
効率よく、しかも長時間の労働に耐えるか?
それとも、労働単価を無視することが可能な労働力を見つけるか?
のどちらかでしかない。
私は、農業公社が独り立ちするには、いつも提唱しているように『釣り船型』の経営方法しかないと思います。
前回、前々回の選挙を体験してきて、選挙戦の最大の敵は『暑さ』だと理解していたつもりだったが。
ここまで『暑さ』に苦しめられるとは!
まさに『生き地獄』です。
長期予報で、今年の夏は『暑い』と言ってはいたが。
7月上旬の33・34度程度の暑さの時は、嫁のぐったりしている姿をしり目に。
『暑いかぁ~』と、半分小ばかにした感じで、毎日元気にあいさつ回りに精を出していた。
7月中、下旬は一旦暑さも収まり。
「これくらいなら、今年の夏は何とか乗り切れそうだ」
「ホント、好かったわねぇ」
と、夫婦で喜んでいた。
ところが、ここ数日の猛暑日。
34度と、36度の僅か2度の差がこれほど体にこたえるとは思ってもいなかった。
時折ここにも書き込みますが、私の体温は低いほうだと思う。
大体、35.5度くらいかな。
風邪をひいて、熱が上がったと大騒ぎするのが36.5度程度。
37度にもなれば、殆ど寝込んでしまっている。
ここ数日の外気温は、私が寝込んでしまうほどの『暑さ』というわけです。
加えて、大の『クーラー嫌い』
我が家で、私が居るところはクーラーのスイッチはOFF。
扇風機の風が直接当たるのも嫌い。
扇風機の首ふりも止めてしまいます。
そんなジジイは、孫たちにとってはこの上ない厄介者。
台所のクーラーは止められ、扇風機はあらぬ方を向いて風を送っています。
だからと言って、台所以外で食事をすればジジイが怒るし。
さっと食べ。
さっさとリビング(そんな気の利いた部屋ではありません。テレビが置いてあるだけの和室です)へ。
そこはクーラー入れ放題の『天国』
かわいそうなのが、嫁です。
暑っい台所で、食事を作り。
私が食べている間は、台所に居なくてはなりません。
暑いからとクーラーを入れるわけにもいかず、ただ我慢の毎日。
寝室は別々ですから誰がどのような状態で寝ているのか、知りません。
ただ、私の部屋は折角付いているエアコンは埃を被ったまま。
窓を全開にして。
窓際に置いた扇風機があらぬ方向に寝付くまでの間、静かに風を送っています。
とにかく自然な環境が大好きな私。
ですが、この暑さで口から出るのが
「死んだほうがまっしやなぁ」
私が、なぜ『農地が大切だ』と訴え続けているのか。
昔々。
朝早く、花を梅田・天満・天王寺に在った卸専門の生花店に出荷するために週に1,2度通っていた。
いつ頃からだろうか?
それまでは、クーラー自体が珍しく、当然室外機からの熱風など体験したことが無かったが。
急にクーラーを付ける家庭が増え、早朝の町は蒸し風呂状態に変わったのをはっきりと覚えている。
一軒の家が付ければ、付いていない家は暑くて寝られたものじゃなかったのだろう。
早朝なのに、あっという間にそこに居るだけで汗が噴き出してくる。
そして、箕面に帰ってくれば早朝の清々しい空気に包まれている。
その時、私は『とてもじゃないが、あの環境じゃ暮らせん』と思った。
農地を守っていく。
とは言っても、むつかしいことが山積みだ。
一番大きな課題は農業従事者不足だろうと思う。
銀行や、建築屋さんの言うことを聞いて賃貸物件を立てても、将来の見通しが暗いことぐらい、ほとんどの農家が認識しているのじゃないだろうか?
少しの農地なら、耕していく自信があっても。
ちゅ~と半端な面積の農地は、機械化するには金がかかるし。
暑い最中に農作業をする元気もない。
草を放置すれば、近所から叱られるし。
というわけで、ちゅ~と半端な農地は、農業従事者の居ない農家にとってはとんだ『お荷物』になっってしまっている。
逆に不動産屋さんにしてみれば、ちょうど手ごろな物件だ。
だから農家が望む以上に宅地化が進んでいるのが現状だろうと思う。
一方、定年後の仕事として『農業をしたい』と思っている人たちが一杯いると思う。
この人たちは、半分健康のためにやっているのだから、利益は度外視でやってくれる。
折角、町中に農業を楽しむことができるフィールドが現存するのだから、これを『有効利用』するべきだろう。
私のような『農家』なら、当事者間で合意できればいくらでも農地を借りて農業をやることができるが。
農家以外の人が、いわゆる市民農園以上の面積を耕すことには、規制があってなかなか難しのが現状だ。
まず、この部分の規制改革ができるよう市・府・国に働きかけたいと思っています。
今回のキャッチコピーを『農地を守り。環境を守る』に決めた。
『ん? ? ン?」
これだけじゃどっかの市民派と間違われてしまいかねない。
そこで、
『箕面市議会でただ一人の農業従事者だからできることがある』
を付け加えた。
市民派と称している議員との違いは。
口先だけの理想論や、精神論ではなく(農家にとって、これほど迷惑なものはない)
どの規制を緩和すれば。
どのような制度を構築すれば。
市街地の農地が残せるのか。
を追及していきたいと思っています。
市議会に初挑戦したときからのテーマです。
親と一緒に百姓に精を出し。
銀行に言われるままに相続税対策を行い。
結果として、幾晩も寝れないような経験をしました。
自分の経験を踏まえ。
これからの社会情勢をにらみ。
理想だと思う『まちづくり』を提案していきたい。
今日は誕生日。
65歳になりました。
私は、幼いころは『病気のデパート』と言われるほど様々な病気を経験してきた。
今から思えば『食物アレルギー』がきつかったのだろうと思う。
『アトピー性皮膚炎』や『喘息』に悩まされ続けた。
ツベルクリン反応では、腕だけでなく注射を打った方の肩までが大きくはれ上がり。
勿論『測定不可能』で処理された。
夜は喘息の発作で寝られやしない。
横になると苦しいので、椅子に座って夜を明かしたこともしばしばだ。
小学校の体力測定の途中で倒れて、大騒ぎになったり。
遠足に出かければ、次の日から2,3日は熱が出て学校を休んだ。
暑さ・寒さにもめっぽう弱く。
夏休みの思い出は、涼しい座敷に布団を敷いてもらってゴロゴロしていたことだけ。
勿論、宿題なんてほとんどしなかったし、する元気もなかった。
寒い日は、親か従業員さん(家業がパンの製造でしたから従業員さんがいました)に学校まで車で送ってもらい、1時間目が終わったくらいで先生が
「高橋君(旧姓)寒いしもぅ帰るか?家に電話をかけようか」と言ってくれた。
低学年の頃の体育は、見学ばかりだった。
それが小学校高学年から、少しずつ丈夫になり。
中学生くらいになるとほぼ普通の生活が送れるようになった。
初めてプールに入ったのも中学生だったと思う。
中学生になっても、体は小さく常に一番前に立っていた。
あまりに小さすぎて、『いじめ』の対象にもならず。
けんかもできない『へたれ』少年だった。
子供の頃、65歳といえばとんでもない爺さんだった。
まさか自分が65歳の爺さんになるまで生きてるとは思わなかった。
しかも、これだけ健康で元気に! (^-^)/
少し前の話だが。
猛暑日に近い気温の日が続いた。
その日は、午後2時に面談の約束があり、先方へ急いでいた。
一番暑いと思える時間帯に、草刈り機の音がする。
音のする方を見れば、市職員が草刈りの真っ最中。
真っ赤な顔をして頑張っている。
次の日、市役所でその職員さんと会った(というか、会いに行った)。
「昨日頑張ってたなぁ。草刈り大変やろ」
「いやぁ~。暑かったですわ」
「なんで、あんな時間に草刈りしてたんや?わしらは、あの時間帯にエンジン抱かえての仕事はせん。ホンマに倒れてしまうど」
聞けば、道端で草に溺れるニンジンを見ているのが辛くて、草刈りをしたのだそうな。
夕方にやりたかったけれど、4時から会議があったのであの時間しか無かったとか。
「そーか、せやけど倒れたら、元も子もない。気ぃ付けなあかんで」
また、先日はもぅ薄暗くなってきた中、支援者の人と話が弾んで帰りが遅くなった私の前を走る自転車。
これも市職員だ。
「こんな時間に何してるん?」
「えっ、あっ中井議員。ちょっと空き家の調査ですねん」
「そーかぁ、気ぃ付けて」
その職員さんとも、後日市役所で会った。
「先日はご苦労さんやったな。あの時間帯やったらもぅ薄暗かったやろ。なんでもぅ少し早い時間帯にやらんのや?」
「それが、日中は忙しくてとても抜けるわけにはいきません。ついついあの時間帯になるんですわ」
「しかし、なんで空き家調査してるんや?」
「データは上がってくるんですけど、一応自分の目で確認しておかんと、と思いまして」
うちの職員さんには、頭が下がる
昨日は『箕面まつりのパレード』が開催される予定だった。
が、急な雷雨の襲来で中止になった。
3時前だったろうか?
NHKのラジオ放送を聞いていると。
『兵庫県(だったと思うのですが、かなり不確かな情報でスミマセン)で大雨のために交通機関に乱れが生じている』
との報道が番組の途中で流れた。
急いで空を見上げたが、きれいな青空だった。
『?・?』
念のために、ネットで天気予報の雨雲レーダーの状況を見た。
六甲山の方向にかなりきつい雷雲が映っている。
予想図に切り替えた。
4時頃には、その雷雲が箕面市付近を通過するらしい。
『えぇぇ』
3時35分頃には、パレードの見学のために家を出なくてはならない。
半信半疑のまま。
事務所の窓や車の窓もすべて閉めて。
嫁に、家の窓をすべて閉めておくように言って。
ずぶ濡れになる覚悟で、出かけた。
会場では屋根の下に陣取り。
「もぅ降ってくるで。あっ、五月山がかすんできた。新稲の辺まで降ってきたなぁ。もぅすぐ降ってくるなぁ」
と、開会式の方を見るより、皆で北西側の空を見て大騒ぎ。
開会宣言が行われている途中から雨が降り出し。
あっという間に、ものすごい雷雨に。
それで、パレードは中止になったが、あまりの雷雨で帰ることどころか、移動することもままならないほどの状態になった。
中止の判断は、もちろん適切だったろうと思うが。
その判断を下さなければならなかった立場の人の心中を察したとき。
こちらまで胃が痛くなる。
おそらくは。
当日は(いや前日、もっと前からかもしれない)、何度も天気予報を確認したことだろう。
『雷雨に見舞われる可能性がある』ことが、だんだんはっきりとしてくる。
その時の心境は察するに余りある。
何も自分が悪いわけじゃない。
天候など自分でどうすることもできやしない。
しかし・・・。
私も、昔は出初式当日の天気が気になって。
1週間前くらいから『週間天気』ばっかり見ていたなぁ。
昨日の責任者の方に『お疲れさん』と言ってあげたい。