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薪割

村の中(どんなところに住んでるんだ?)を歩いていたら、解体中の家があった。
廃材が周りに積んである。

この廃材の山を見て思わず
「もったいないなぁ、欲しいなぁ、くれんかなぁ?」
って、呟いてしまった。

昔は、こんな廃材をもらって、薪にした。
植木屋の仕事で出た、太い剪定枝や幹はすべて薪にした。
冬場の仕事の一つが薪作りだった。
薪割は、体が温まって楽しい。

細い枝や葉っぱは、畑で燃やして、灰を肥料にした。
あの頃は『ごみを出す』という習慣も殆どなかったと思う。
野菜くずやご飯の食べ残しは鶏のエサだったし。
餌にできないものは、畑に持って行って肥料にした。

世の中は、確かに便利になった。
お風呂も、最初にボタンさえ押せば設定した湯温が保たれる。

地球の温暖化が問題になっているけれど、自分たちの便利さと引き換えにしているのだろうな。

えらそうなことを言ってるけど。
薪を作る気はあっても。
寒い時に外に出て、風呂の焚き口に薪を入れに行く根性は消え失せた。
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均等

今朝のニュースによると、今国会に「国政等選挙の候補者数を男女均等にする(を目指す?)法案」が提出され、成立する見込みだそうな。

女性が活躍する社会は当然だと思う。
政治の世界に、もっと女性の視点を取り入れることの大切さは十分理解できる。
そのためにはもっと女性政治家が必要だということも分かっている。

この法律の内容どころか、名称さえも分かってない状態で、書き込みするのは無責任極まりないけれど。
ちょっと気になることがあるので、お叱りを覚悟で書き込みます。

私は男だから経験したことがないけれど。
もし、女性が立候補するのに制限がかけられているのなら、それは取り払うべきだと思う。
障害は取り除くべきだが、その後のことは自由競争の原理に任せるべきだと思う。

私のとこには、前回の市議会議員選挙に立候補したいと相談に来てくれる人が複数いた。
が、残念ながら女性は一人も来なかった。

もし、来てくれたとしても、私は性による差別はしない。
男性、女性問わずに『議員の楽しさや遣り甲斐』と、『選挙の大変さや、議員になってからの苦労』をきっちり説明するつもりだ。
それを十分理解したうえで、『自ら決めれば好い』と思っている。

男性だから、女性だからと私の説明に手心を加え、違った認識で立候補を決めてしまえば。
泣くのは本人だ。

『何処かの人気政党の名を借りれば』と『女性だから』が、同列に扱われ。
安易な気持ちでやるべき仕事ではないと思っている。

本当に高い志と覚悟をもって政治の世界に身を投じようとしている女性に失礼じゃないかとさえ思ってしまう。

観測

今朝から、フェースブックで『今朝のサクランボ』を復活させました。

これは、事務所の前にあるサクランボの枝を毎日定点観測し、フェースブックで紹介するものです。
ただ、なんてことはない企画ですが、季節の移ろいを感じることができると思い、昨年に始めました。

昨年は『今朝の・・』は、サクランボに続いて。
庭先で見つけたスイカも登場させ。
これはこれなりに季節感が出て面白かったと思う。

本当にやりたいなぁと思う企画は『今朝のダラ』です。

老犬の奮闘記は、毎日見ていて見飽きない可笑しさがある。
が。
この企画は、きっと不評を買うことになると思うので躊躇しています。

ドンドン成長していく記録は、受け入れてもらえるが。
ダンダンと衰えていく記録は、万人受けしないと思う。
からです。

昨日の夕方も、『ダラ』と『さくら』を散歩代わりに庭で放しました。
10分ほどですが、庭を走ったり、木におしっこをかけたり、あちらこちらをトイレ代わりに・・・。

今までも、オス、とメスですからトラブルも絶えません。
ダラが、しつこくさくらに付きまとい、最後はさくらに叱られて・・・。
特に、まだどちらも若かった時は大変でした。

体力で勝るダラが力づくで、嫌がるさくらに襲い掛かり。
喧嘩になることもしばしば。
そのたびに、皆でダラを叱り付け。
時にはさくらに加勢して、ダラを撃退しました。

ところが、近頃は状況が一変しています。

昨日も元気に走り回るさくら。
適当にうろうろするだけのダラ。

走るさくらの前に物陰からダラが出てきて、出合頭にぶつかってしまった。

どこに当たったのか、大声で「キャンキャン」泣き叫ぶダラ。
そばでオロオロするさくら。
ダラの悲鳴を聞いて家族も一斉に家から出て来た。
叱られると思ったのか、余計にオロオロするさくら。

一部始終、見ていて大笑いする私。
私に撫ぜてもらい、機嫌を直したダラ。
で、一件落着した。

しかし、こんな風に壊れていく『愛おしいダラ』を、取り上げたいと思う私の気持ちは。
きっと理解をしてもらえないのだろうと思う。

感動

格闘技が好きだ。
特にボクシングが好きかな?
いや、キックボクシングのほうが・・・。

そんなことは、どうでもいい。

先日、新聞の広告だったかな?
いや、本の紹介コーナーだったか?

で、スポーツライターの人がボクシングをテーマに本格小説を書いた。
これが非常に面白い。

というのを見て、通販でこの本を買った。
非常に面白かった。

先日に視察の移動中。
手持無沙汰だったので、駅で本を買った。

『世界一わかりやすい・・・』てなタイトルだったと思う。
本のボリュームのわりに値段が安かったので買ったが。

・・・円返せ!。
俺の時間を返せ!
と叫びたくなるような内容だった。
『安物買いの銭失い』でした。

先日、某タレント?さんの本を衝動買いした。
時折見るバラエティー番組?での発言が面白いと思っていたから、買った。

半分ほど読んで、捨てた。
こんな思想には付いていけない。
孫たちに見つからないように。
捨てた。

先日、本屋大賞にノミネートされているという本を買った。
『泣ける本』らしい。
あまりの・・・に本当に泣かされた。

本屋!
こんな本をノミネートするな!
君らはプロちゃうんか!

ある意味、感動した。

今朝、某新聞社の大賞に選ばれた本を注文した。
今度はどんな感動が待っているのか、楽しみだ。

難聴

嫁がしきりに恐縮がる。
「ダラちゃん、鳴くから寝られへんやろ?」

先日書き込んだ騒動以来、ダラちゃんは我が家の裏口でお泊りだ。
この場所に一番近い寝室は私なのか、2階の孫なのか?

今でも時折、夜中か早朝に鳴くらしい。
その声で、嫁が起きるし、孫も起きてしまうようだ。

自分たちが起きるのだから、一番近い処で寝ている私が気付かないはずがない。
ここに寝泊まりさせることになったいきさつもあり、嫁が恐縮がる。

ところが、この爺さんは加齢による難聴で、ダラの鳴き声に気が付かない。
「そ~か、今朝も鳴きよったんか」
で済ませてしまう。

それを聞く嫁は、心遣いと取ったのか。
しきりと感謝する。
孫も、自分も目が覚めたことを言わない。

夕食時、嫁がしきりと話しかけてくる。
ところが、この爺さんは加齢による難聴で、嫁の話が半分以上聞き取れてない。

仕方なしに適当な相槌で済まそうとするのだが。
相談している嫁にとっては許せないことらしい。
「あんた、人の話を聞いてるん!」

原因は、明らかに私の難聴に有る。
自分にとって都合が好いときは感謝し。
都合が悪ければ怒る。

うちの嫁は勝手だ。


順番

昨日、代表質問の発言通告を出してきた。

箕面市では、代表質問は会派単位で行う。
質問の順序は発言通告を出した順番でくじを引く。

一番最初にくじを引いても、くじの番号が『5』なら、5番目に代表質問をするということだ。

一般質問なら、発言通告を出した順番だから、一番最初に発言通告を出せば、必然的に1番目に質問することになる。
発言順序を自分で調整することが可能だ。
質問項目も自由だから、それまでの質問者や項目を見て自分の質問内容と重なると思えば、通告書の提出を一旦見合わせることもできる。
代表質問は、質問項目が重なるのは必置だから、質問順序というのが大切なのに一般質問のような小細工ができない。

代表質問が上手く行くか、否かは、まさにくじ引きでの『運の強さ』にかかっている。
(質問内容に力点を置いてないかの如くの書き込みになってますが、内容に関しては100%力を出し切るのは当然のことです。念のため)

最悪なのが、一番最初にくじを引いて、『5』だった時。
これは、会派の部屋に帰って『あほ・ボケ・カス』何と言われようとも、弁解の余地がない。

最後になるまでじ~っと我慢して『5』しか残っていないと分かった時。
これも、『お前はあほか!なぜもっと早くくじを引かない』って叱られるだろう。

ベターなのが、誰かが先にくじを引いて『1』を引き当てたという時。
2番くじで、仮に『5』であったとしても、『まっ、『1』を先に引かれたら、2でも5でも一緒や。しゃぁないなぁ』で済ませてくれそうだ。

それを狙っていたが。

先輩から、『早よ、くじ引ぃといで』と急かされ。
『えぇぇ~』といいながら、事務局の窓口でうろうろ。
まだ一番くじで『5』を引く覚悟ができない。

かといって、自分ではどの位置のくじを引くのかは決めてある。
そのくじが残っていれば好いが。
目の前でそれを引かれて、それが『1』だったら。
そして、仕方なしに引いた隣のくじが『5』だったら。

しばらく、寝れない日が続くだろう。

2度うろうろして、意を決し事務局の窓口に行こうとしたら、タッチの差で2番目になった。

最高のポジションだ。
私が引こうと決めていたくじも残っている。
『ヨシ!』
勇んで引いたら『3』だった。

比較

昨日・一昨日と2日続けて和泉市に行ってきた。

一昨日は、葬儀で市営(?)の葬儀場へ。
到着時間が思った以上に早かったので、わざと遠回りした。
45年ぶりで、走る道だ。
道のイメージがなんとなく残っているから走れたが、景色は一変している。

昨日は、法事が有った姉の家まで乗せていってもらうので、駅から生家まで久しぶりに歩いた。

もし、誰かが同行していたら、きっと訝しむと思う。

あっちをきょろきょろ。
こっちをきょろきょろ。
ブツブツ、ぶつぶつ、何かしゃべっている。
時折頷いたり、小首を傾げたり。

私的には、非常に面白かった。

特に駅から歩くことは、6年ぶりくらいだろうか?
駅が新しくなって、位置が変わり、駅周辺も大きく変わった。
そして何よりの収穫だったのは、少数ではあっても、その使い勝手について聞けたことだ。

一昨日の夕方は、校区の人権協の反省会があった。
その場でも、様々な立場の人たちと議論(?)することができた。

自分がやろうとしていることが、正しいのか?
人は『信念を貫く』と簡単に言うけれど、なかなか難しい。

私の場合は、様々なものを見聞きして、持論と比較することで微調整をしている。

苦労

代表質問(案)を作り終え、会派の皆さんに提示した。
これで、一段落。
後は、会派の皆さんから寄せられる意見を見て修正するだけです。

この原案作りが大変でした。
経験を重ねる毎に、難しくなる。

当初は
『なぜ、こんなことも出来ひんかなぁ?』
『皆、気ぃつかんのやろか?』
『職員の怠慢や!』
などと思い込み。

勇んで質問するが。
段々と世の中の仕組みが分かってくると。
そぅならざるを得ない理由が分かってくる。

質問するからには、解決策にもおおよその目途を立てないと、いけないと思う。
勿論、それが解決策になりうるか?の検証も必要だが。
余りにも、それに拘りすぎてもだめだ。
それでは、行政側がする弁解の代弁者に成り下がってしまう。

議員は、自分自身で仕事はできない。
仕事をしてくれるのは、職員だ。
いかに担当職員を、『その気にさせるか』が肝心なのだが。

そんな事が簡単にできれば苦労しない。

後悔

私は、だらしない。

整理ができないのです。
机の上の整理整頓はもちろんのこと。
着るもの、食べるもの、スケジュール管理や資料の整理もほとんどできない。

昨年、スーツを吊るす場所がなくなったので、嫁に
「着ぃひんスーツはまとめて持って行ってもらうから、ちょっと整理したら?」
と言われ。
「俺も整理しようと思とったんや」

で、着ないと思う服を整理した。
かなり思い切って整理した。

ここまで書けば、ほぼ想像がつくと思うが。
急いで整理したものだから。
今回も失敗したようだ。

そぅいえばあの時。
捨てるスーツと、洗濯屋さんにもっていくスーツに分けて置いていたはず。
その後、嫁に言われて不用品を出した時、全部まとめて一緒に出してしまったような、そぅでないような・・・。

気が付けば冬のスーツが3着になってしまっている。
そして、洗濯屋さんから返ってきた整理したはずの夏服がズラーっと。

今は、もぅ完全に『着た切り雀』状態です。
あんなに気に入ってたスーツも捨てたのだろうか?

今更後悔しても遅い。

講演

昨日は、『被災地避難所から考える地域の防災』という講演会があったので参加してきました。

以前から私の予定表には『2月14日午前10時 地域の防災講習会』と打ち込まれていた。
が、何のことやら、さっぱり分からない。
勿論、自分で打ち込んだのだが、行事が何だか分からなかった。
こんなことはちょくちょく起こる。

今月に入って、議員ポスト(議会事務局に議員の連絡用ポストがあります)に案内状が入っていた。
思い出した。
「あっ、そうや。地区防災委員会の役員会で、きっとためになるから、是非聞いておいてほしいって、言われてたっけ」

で、参加させてもらうことにしたのだが。
講師が『箕面ユネスコ協会会長 坂口一美』
どっかで、聞いたことのある名前やねんけどなぁ・・・・。
誰やったかいなぁ・・・。

朝、市役所の駐車場でばったり会った。
「あっ、そうや。前の教育委員さん」
思い出して、好かった。

で、講演の内容ですが。
これが素晴らしく良かった。

東日本大震災でボランティアとして避難所の運営に携わり経験したことを、冷静に分析して伝えてくれた。
けっして、自らの経験に基づくことだけを正当化するのではなく、他の避難所での状況も伝え、それぞれの運営方法の違いを浮き彫りにしていた。

さすが、元教育委員さん。
けっして講師が結論をいうのではなく、『自分なら、リーダーとしてどのような行動をとるべきか』を参加者に考えさせる。

なるほど、『これが考えさせる教育か』と、妙なところで感心してしまった。

私が思ったのは。
大災害直後の避難所生活という非日常の中では、様々なことが起こり、決められたマニュアルはほとんど役に立たないと思える。
だから、避難所の運営に決して『これが正解です』というものは存在しないのだろう。
その場面、場面でリーダーが『課題を乗り越えていく』いう強い決意と、皆の協力を仰ぐことだ。

薄情

ダラちゃんの痴呆症状がひどくなってきたように思う。

以前からもここに書き込んでいるが、昼と夜の逆転現象が進んでいるように思う。

お昼は、爆睡。
夜になると騒ぎ出す。
それも大きな声で鳴き続けるので、近所迷惑だ。

嫁が叱りつけても効果がない。
仕方なしに、私が出ていく
大声で
「じゃかましい!」
効果覿面だが、きっと私の怒鳴り声のほうが近所迷惑だろうと思う。

これも以前から書いていることだが。
ダラちゃんは、殆ど聴力を失い、視力だって怪しいもんだ。
今朝もすぐそばで呼んでいるのに、反応が無い。
少し離れたところに餌を置けば、気が付かない。
だから、叱りつけるときは、近所迷惑でも耳元で大声を張り上げないと効果がありません。

以前、『犬の鳴き声を抑える薬が有る』と聞いたことがあったように思うので、昨日にダラちゃんのかかりつけ医さんのところに行った。
「先生すみません、鳴き声を抑える薬はありませんか?」
症状を詳しく説明した。

「中井さん、そんな薬はありません。犬が夜鳴きをするのは寂しいからです。もぅ年寄りですから、家に入れて撫ぜてください。それしか方法がありません」

しかし、あれを家にあげれるか?

そこで、良いことを思いついた。
納屋を片付けて、あそこを犬小屋にする。
あの納屋なら、そこそこ分厚い土壁でできているし、入口を閉じれば声が聞こえず、近所迷惑ではないだろう。

家に帰ってきて、嫁や孫にお医者さんの意見と、私のアイディアを披露すると
「薄情もん!」
の一言だった。

かくしてダラちゃんは、我が家の裏口で生活することになった。

衝撃

昨夜は自民党能勢支部の新年互例会が開催されたので、自民党箕面支部長の名代として参加させていただきました。

来賓として、町長さん、町議会議長さんもお見えになっておられ、祝辞を述べられた。
それぞれに、今、能勢町が抱える課題についての説明と、来年度に向けた抱負を語られた。

来年度の一般会計の当初予算額が45億円余だそうな。
その予算で、あの広い能勢町を維持管理せねばならない。
更に、能勢町が抱える課題を克服せねばならない。

これを聞いていて思わず『う~ん』と、うなってしまった。

人口減少と、高齢化に歯止めがかからず。
追い打ちをかけるように、府の出先機関がどんどん能勢町から撤退して、とうとう来年度はすべてが無くなるのだとか。
1月の寒波で、北部の天王地区では70cmのドカ雪が降り、除雪作業が追い付かず一時孤立状態に陥ったのだそうな。
これも出先機関の撤退が関係しているらしい。

勿論、明るい話もある。
能勢高校が、豊高の分校として、存続が決まったらしい。
若い世代が頑張ってくれている。
やはり大阪近郊ということで、大きな可能性もあるのだろうと思う。

行政視察と称して様々な自治体を訪問し、研修をさせていただくが。
昨夜ほど、本当の声を聴かせていただく機会は皆無だ。

様々なことを気付かせていただいた。


潮流

日米首脳会談が行われたらしい。
記者会見の内容が新聞に掲載されていたので読んだが、別に驚くような内容ではなかったように思う。

今回のトランプさんに関する報道は少し騒ぎすぎだったように思う。
そして、それこそが彼の戦略にはめられたのではなかろうか。

先に『ドカン』と空砲を撃つ。
その音に驚いて、こちらが身構える。
ところが、相手はごく普通の人間だった。

『なぁ~んや、常識のある好ぇ人やんか』
で、その人の評価が上がる。
といった筋書きに、マスコミが踊らされ、読んだ人も踊らされた。

といったところではないのだろうか。

これは、大国でないと通用しないことだろう。
自国にとって重要でない国がいくら騒いでも、意に返さない。
相手に『勝手にすれば』って思われれば、何らかの行動で示すしかなくなる。
だから、小国の暴走が怖い。

米国は大国だから急激な変化は難しいと思う。
巨大なタンカーが競艇のボートみたいな動きをすれば、船体自体がその変化に耐えられずに潰れてしまう。
戦艦のようによほど頑丈な構造でないと無理だ。(君主制や共産主義のようでないと民主主義では不可能だと思う)

今回、米国が大きく進路を変えようとしているとすれば、国民の意思が働いた結果なのだろう。
ひょっとすると、多くの米国民が世界の潮流の変化に気づき、このままの進路では船が転覆するかもしれないと考えたからかもしれない。
その判断に至った潮流の変化こそ、世界のマスコミは総力を挙げて報道してもらいたい。

巨大な船が急激な変化はできなくても、少し進路を変えただけで起こる潮の流れの変化で、周りの小舟は大変だ。
間違った舵の切り方をすれば、衝突か転覆だってありうる。
日本のマスコミは、冷静かつ的確な潮流の変化を報道してもらいたい。


忘我

我が家では日経新聞を読んでます。
ず~と昔は、朝日新聞でした。
従軍慰安婦の記事が原因で産経新聞に替えた。
社説等を読んでいて、ちょっと?・?なことが多かったので、日経に替えました。

ローカル的な記事は少ないけれど、全体的には満足しています。

新聞の記事は好いのだけれど。
折り込みチラシがほとんど入ってない。
尤も、以前の2紙は、しっかり読み込む記事が少なかったから、チラシも読み物と思っていたのかもしれない。

そんな日経新聞でも、金曜日はチラシが2,3枚入っているときがある。
今朝は、4枚のチラシが入っていたようだ。

「へぇ~、・・電機さん。閉店セールかぁ。」
で、一生懸命にチラシを見ていた。

次に目についたのが衣料品店のチラシ。
モデルの子に目が釘付け状態。
「かわいいなぁ~」
「きれいやなぁ~」

すっかりガスレンジにお粥の鍋をかけていたことを忘れてしまって。

気が付いた時には。
吹きこぼれ。
ガスも消え。
お粥が冷めかけていた。

いったいどれくらいこのチラシで楽しんだのだろうか?

うそ

フェイク・ニュースっていうんですか。
『うその情報が世の中に氾濫している』といったことが盛んに言われはじめている。

そのニュースを見ていて思ったこと。
私には、「どこまでが、フェイク・ニュースなのかはっきり分からんなぁ」

『うそ』は完全にアウトです。
自分が『うそ』と分かっていることを、言いふらせてはいけません。

『思い違い』や『不確実』なことははどうだろうか?
自分の経験上、これとこれの間に因果関係があると信じて、それをブログに書き込んだとすると、どうだろうか?
俗にいう、『迷信』といわれている類のものです。
『私は・・でダイエットに成功』という類のものもこれに当てはまるかもしれません。

その地域独特の現象や、嗜好の違いというものもあるだろう。
雑煮に餡餅を入れるという風習があると聞いたが、慣れない人には『うっそー』の世界だと思う。

新聞記事でよくあるのが、一部の現象を大きく取り上げること。
一つの現象が、見方を変えればまるで違ったものになるってこともよくある話だ。

これらの情報を、『フェイク・ニュース』だと決めつけることも。
『フェイク・ニュース』の氾濫以上に怖いことかもしれない。

聞く人にとって、同じ情報でも役に立つ場合もあれば。
その情報でひどい目に合うこともあるだろう。

結局は、自己責任で情報収集を行わねばならないってことに尽きるんじゃないのかなぁ。

成果

昨日も、引き続き九州へ行政視察に行ってました。

昨日研修させていただいたのは、福岡県豊前市でした。

研修先をここに決めたのは。
議会が条例案を提出したらしい。
その苦労話を聞かせてもらおう。
ということだったと記憶している。

事前に議会事務局が用意してくれた資料を読ませていただくと、類似の条例は前日の研修先だった佐伯市にもあるし。
ということで、失礼ながらそれほど期待せずにお伺いした。

ところが、ここの議会活動は素晴らしく。
この議会提出議案だけでなく。
我々が課題ととらえている『市政報告会』の手法に関する、大きなヒントが有ったといってもよい。

ここは地域の自治活動の制度が確立されているため、その地区の課題は『区長さん』を窓口として集約できているらしい。
議会報告会を行う市内を4つに分けた会場内の複数の地区に対し、まず課題の一本化を依頼するらしい。
その課題を、あらかじめ調査(現地調査及び行政への聞き取り調査)し、改めて課題の共有を図る。
その課題について、参加者と意見交換するのだとか。

一方的な要望だけを聞いてくるのではなく、意見交換で、どのようにすれば『実現が可能か』を議論するらしい。
出た結論を議会が『住民の要望』として市に働きかける。
行政側も議会からの要望となれば、無視するわけにもいかないので、住民の課題が解決する可能性が高くなるのだそうな。

住民が行政に直接言っても、なかなか課題解決に結びつかないが。
議会に頼めば、課題解消に向け大きく前進する。
と、住民からは好評だそうな。

勿論、市勢の規模や環境等の違いからそれなりのアレンジは必要だけれど、目指す方向がハッキリしたと思う。

昨日は大変有意義な研修になったと思う。

確信

我が家では会話が成立しない。

原因は私にある。
『めし』『風呂』『寝る』でしたっけ、その3つの単語しか言わない最悪のパターンだ。

にもかかわらず、食事中に嫁が話しかけてくる。
適当な返事で対応していれば、やがては『しずか』になってくれる。

昨日も食事中に話しかけてきた。
こっちは、あれこれ悩まなくてはいけないことがあって、嫁の話相手をする気分ではない。
嫁には判断がつかないことらしく、しきりと話しかけてくる。

生返事を返しながら、頭の片隅で嫁の話を分析してみると。
「そんな判断もできんか!」
だんだん腹が立ってきた。

そこで怒ってしまえば、また今後の食事内容に影響する。
ぐっとこらえて、嫁に代わって対処した。

イライラ、イライラしながら。
気が付けば、目の前に置かれたものをすべて食べてしまった。

それも、どうやら一人分ではなかったようだ。

嫁に白い目で見られるなか、食べ過ぎて苦しい腹をなでながら、自分の部屋に戻ったが。
ボケて、見捨てられるのも間近だと、確信した。

自治

先日の彩都での意見交換会の後で、ズ~と悩んでいたことがある。

日本の政治機構が中央集権から地方分権へ。
要するに、
日本全体で施策を決めるのではなく、各地方自治体で各々がそれぞれの環境に適合した施策を決めましょう。
ということだと思う。

だったら、
箕面市でも、市全体で画一的な施策を決めるのではなく、例えば校区位の単位での自治を認めてもいいのじゃないか。
と、思った。

自治とは大げさだが。
特例くらいは認めるべきだと思う。

痛感したのが、彩都地区でのコミセンの管理だ。
他の校区と違って、ほとんどの世帯が子育て世代で、地域活動に労力を割けない人たちの集まりらしい。
コミセンの管理といっても、平日に管理できる人は殆どいないらしい。
管理者がいないから、需要があるのに開館できないのが実情だとか。

コミセンが開いているのなら、就学前の子たちを遊ばせることができるらしい。
子どもたちが小さいので、鍵の管理といわれても、やれる自信がないし、余裕もない。

市内のコミセンは画一的に管理委託先が、地域の団体と決まっているのだが。
この問題などは、少し柔軟な体制に変える必要があると思う。

一方で、特例を認めていくと市全体がグチャグチャになる危険もはらんでいることも事実だと思う。
そこで必要なのが信頼関係だろうと思うけれど、いずれ踏み出さねばならない課題であることは間違いない。

標語

家で昼食を食べ、市役所に戻ってくる路上で。
前を走る某運送会社の車に貼ってあるステッカーが気になった。

曰く
この車はで止まります。
イエローストップ運動実施中

            ・・・運送会社

このステッカーを見て、不思議に思ったのは私だけだろうか?

信号機を見て
『青』なら進む
『赤』は止まる。
は常識だが。

問題は『黄』の時だろう。

普通は『黄』も止まりませんか?
交差点に侵入した直後に『青』から『黄』に変わり、『黄』で交差点を通過してしまう事は仕方ないと思うが、
交差点に進入する時に既に『黄』だったら普通に止まるでしょう。(あまり自信はありませんが(。-_-。)


スピードとの関係で、急には止まれないことも、有るにはあると思うが。
そのような時には、交差点の途中で停車したり、停止線を越えて横断歩道を塞ぐより、より安全な方策を選択するべきだとも思う。

話を戻そう。
このステッカーを張るまでは、この運送会社では『黄』のときでも平気で交差点に進入する車が多かったが、これからは変わりますよという宣言だろうか?
この車の運転手に対する戒めのステッカーだろうか?
それともこの運送会社の車が走っている地域では、『黄』で交差点に進入する車が殆どだから周囲に追突しないよう喚起の気を込めてこのステッカーを張ったのだろうか?

このステッカーに書かれた標語の勝手な解釈ですが、
『信号の変化にも慌てることが無いように。スピードを控えて走りますよ』
ということだろうと思います。(念のため)

このトラックがすぐに右折したので、わずか100m程の追走だったけれど。
面白い小ネタが見つかって好かった。
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