信仰
先日、古本市が開かれていたので、立ち寄りました。
「曾野綾子」さんの本が有ったので購入しました。
その中に『なるほど』と思えることが書かれてあったので、自分なりの感想を紹介したいと思います。
自分は、他人の行動を正確に理解することはできません。
ということは、他人からの自分の行動に対する正確な評価も期待してはいけません。
他人はともかくとして、私は誰かに褒められたくて『善行』を積んでいるつもりですが、しばしばその『行動』が正当に評価されないどころか、逆に評価されることさえ有ります。
これは、大変つらく悲しいことで、大きなストレスの要因になります。
誰しも、『誰か』に自分の『行動』を正当に評価してほしいと思うのではないでしょうか?
特に、我々の仕事は自分の行動を誰かに認めてもらいたい。
自分のためではなく『他人のためにしている』と思ってもらいたい。
『誰か』のことを、曾野さんは『神様』だと言ってます。
それも、自分の心の中にある(居る)『神様』がすべて『ご存知』だと思うことですべてが救われる。
すなわち、これが『信仰』をすることだと。
存在するのかも分からない、死後の世界に安楽を求めるのではなく。
今、生きている現世を如何に楽しく生きていくか?
の為にあるのが『信仰』だと言われて、私も妙に納得しました。
「曾野綾子」さんの本が有ったので購入しました。
その中に『なるほど』と思えることが書かれてあったので、自分なりの感想を紹介したいと思います。
自分は、他人の行動を正確に理解することはできません。
ということは、他人からの自分の行動に対する正確な評価も期待してはいけません。
他人はともかくとして、私は誰かに褒められたくて『善行』を積んでいるつもりですが、しばしばその『行動』が正当に評価されないどころか、逆に評価されることさえ有ります。
これは、大変つらく悲しいことで、大きなストレスの要因になります。
誰しも、『誰か』に自分の『行動』を正当に評価してほしいと思うのではないでしょうか?
特に、我々の仕事は自分の行動を誰かに認めてもらいたい。
自分のためではなく『他人のためにしている』と思ってもらいたい。
『誰か』のことを、曾野さんは『神様』だと言ってます。
それも、自分の心の中にある(居る)『神様』がすべて『ご存知』だと思うことですべてが救われる。
すなわち、これが『信仰』をすることだと。
存在するのかも分からない、死後の世界に安楽を求めるのではなく。
今、生きている現世を如何に楽しく生きていくか?
の為にあるのが『信仰』だと言われて、私も妙に納得しました。
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