変化
12月10日は、国土交通省へ『北大阪急行線の延伸』について陳情に行ってきました。
私は、平成22年月18日に同様の陳情依頼、5年ぶりの交通対策特別委員会委員長としての参加です。
5年ぶりということで、戸惑うことばかり。
職員さんに同行してもらって新大阪駅に着いた。
改札に入ろうとして、切符がないことに気付いた。
そう、いつものかばんに入れたまま、かばんを持たずに関係書類の入った封筒だけ持ってきてしまったのだ。
急いで家に電話をかけ、嫁にタクシーで届けてもらって、なんとかギリギリセーフ。
これで、嫁に大きな『貸し』を作ってしまった。
さて、失敗話はこれくらいにして。
今回の陳情は、5年前とは大違い。
あの時は、民主党政権下で自民党員だった私と、上島府議(当時)は参加を拒まれ、非常に怒った。
陳情場所も、確か国土交通省ではなく、民主党本部だったように思う。
党の副幹事長への陳情で、大阪府の箕面市の話をしているのに『副幹事長様』とはどうにも話が噛み合わない。
『美濃市』と勘違いしていると分かって、我々は顔を見合わせ苦笑いしたことを思い出す。
あの頃は、『箕面市だけが北急の延伸事業が実現できたらいいなぁ~』
という程度で、今から思うと本当に雲をつかむような陳情だったのかもしれない。
5年の間に大きく前進して、事業化に向け関係4団体(大阪府、阪急、北急、箕面市)が合意文書に調印され。
つい先日には、大阪府の都市計画でも承認されるなど順調に手続きが進められている。
今回は、当初お願いしていた副大臣が、急遽の震災被災地の視察でキャンセルになったものの、津島国交大臣政務官が応対してくれた。

原田代議士とも親交が有るとかで、急遽時間を割いてくれただけのことは有って、こちらの課題や陳情内容も十分理解してくれたと思う。
後は、地元選出の原田代議士に汗をかいてもらい、事業がうまくいくように祈るしかない。
私は、平成22年月18日に同様の陳情依頼、5年ぶりの交通対策特別委員会委員長としての参加です。
5年ぶりということで、戸惑うことばかり。
職員さんに同行してもらって新大阪駅に着いた。
改札に入ろうとして、切符がないことに気付いた。
そう、いつものかばんに入れたまま、かばんを持たずに関係書類の入った封筒だけ持ってきてしまったのだ。
急いで家に電話をかけ、嫁にタクシーで届けてもらって、なんとかギリギリセーフ。
これで、嫁に大きな『貸し』を作ってしまった。
さて、失敗話はこれくらいにして。
今回の陳情は、5年前とは大違い。
あの時は、民主党政権下で自民党員だった私と、上島府議(当時)は参加を拒まれ、非常に怒った。
陳情場所も、確か国土交通省ではなく、民主党本部だったように思う。
党の副幹事長への陳情で、大阪府の箕面市の話をしているのに『副幹事長様』とはどうにも話が噛み合わない。
『美濃市』と勘違いしていると分かって、我々は顔を見合わせ苦笑いしたことを思い出す。
あの頃は、『箕面市だけが北急の延伸事業が実現できたらいいなぁ~』
という程度で、今から思うと本当に雲をつかむような陳情だったのかもしれない。
5年の間に大きく前進して、事業化に向け関係4団体(大阪府、阪急、北急、箕面市)が合意文書に調印され。
つい先日には、大阪府の都市計画でも承認されるなど順調に手続きが進められている。
今回は、当初お願いしていた副大臣が、急遽の震災被災地の視察でキャンセルになったものの、津島国交大臣政務官が応対してくれた。

原田代議士とも親交が有るとかで、急遽時間を割いてくれただけのことは有って、こちらの課題や陳情内容も十分理解してくれたと思う。
後は、地元選出の原田代議士に汗をかいてもらい、事業がうまくいくように祈るしかない。
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