総括
昨日で平成28年3月議会の常任委員会がすべて終わりました。
いつもは、欠かさずに傍聴するのだけれど。
今回は、地元の『一系』(昔々の親戚のことで、『いっけい』と言いますが、この字で正しいのだろうか?)と言われている家のお葬式や、私が所属する総務常任委員会の答弁調整などで、途切れ途切れの傍聴となった。
昨日の7時前に総務常任委員会が無事終了したので、改めて今回の4常任委員会を振り返ってみたい。
今回も目立ったのが、『反対のための反対』だ。
共産党さんは、党の方針に基づく反対だったし。
前市長さんに関係するグループは『現市長の市政がうまくいくことに対する反発』でしかなかったように思う。
反対はするものの、反対して実現させたい『絵姿(対案)』も見えず。
何よりもその『絵姿』に市民の姿がないように思う。
すなわち、市民のための反対ではなく自分たちの『都合』だけしか見えてこない。
自分たちが反対したところでどうせこの案件が通るのだから、『目立つため』の反対だと思ったのは私だけだろうか?
もし、北大阪急行線の延伸事業が、自分たちの反対で中断できるとしたら。
反対して事業を中断させる勇気が本当に有るのだろうか?
延伸と新駅の誕生を待ちわびている人たちに、どのような説明をするのだろうか?
反対しても、事業は進むだろうし、うまくいけば、反対したことを黙っていればそれで済む。
事業が進む中で、予期せぬ不都合が出てくれば
「だから、私たちが反対したんだ。見直しを迫ったんだ」
と自分たちが正しかったと、主張する。
無責任な反対は楽だと思う。
一方、賛成する方は大変だ。
『何故賛成したか』という意見を自分なりに持っておかねばならない。
事業が進む中で、予期せぬ不都合が出てくれば
「なぜ、こんな計画に賛成したのか」
と責任を問われることになる。
事業が順調に進めば、有権者から反対者の責任を問う声は出ないが。
不都合が起これば、提案者や支持者の責任問題に発展する。
議会で賛成した様々な事業が、順調に進むように。
今日も祈っている。
いつもは、欠かさずに傍聴するのだけれど。
今回は、地元の『一系』(昔々の親戚のことで、『いっけい』と言いますが、この字で正しいのだろうか?)と言われている家のお葬式や、私が所属する総務常任委員会の答弁調整などで、途切れ途切れの傍聴となった。
昨日の7時前に総務常任委員会が無事終了したので、改めて今回の4常任委員会を振り返ってみたい。
今回も目立ったのが、『反対のための反対』だ。
共産党さんは、党の方針に基づく反対だったし。
前市長さんに関係するグループは『現市長の市政がうまくいくことに対する反発』でしかなかったように思う。
反対はするものの、反対して実現させたい『絵姿(対案)』も見えず。
何よりもその『絵姿』に市民の姿がないように思う。
すなわち、市民のための反対ではなく自分たちの『都合』だけしか見えてこない。
自分たちが反対したところでどうせこの案件が通るのだから、『目立つため』の反対だと思ったのは私だけだろうか?
もし、北大阪急行線の延伸事業が、自分たちの反対で中断できるとしたら。
反対して事業を中断させる勇気が本当に有るのだろうか?
延伸と新駅の誕生を待ちわびている人たちに、どのような説明をするのだろうか?
反対しても、事業は進むだろうし、うまくいけば、反対したことを黙っていればそれで済む。
事業が進む中で、予期せぬ不都合が出てくれば
「だから、私たちが反対したんだ。見直しを迫ったんだ」
と自分たちが正しかったと、主張する。
無責任な反対は楽だと思う。
一方、賛成する方は大変だ。
『何故賛成したか』という意見を自分なりに持っておかねばならない。
事業が進む中で、予期せぬ不都合が出てくれば
「なぜ、こんな計画に賛成したのか」
と責任を問われることになる。
事業が順調に進めば、有権者から反対者の責任を問う声は出ないが。
不都合が起これば、提案者や支持者の責任問題に発展する。
議会で賛成した様々な事業が、順調に進むように。
今日も祈っている。
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