基準
我々にとって一番大切なのが、『基準』(本文を読んで、もっと良い表現があれば教えてください)ではないのかと思う。
何かを『基準』に
「今日は寒い」とか
「今日は暖かい」とか言ってる。
この基準が『くせ者』で『ええ加減』なもので、すぐに変わってしまう。
10度でも暖かく感じる時もあれば、寒く感じる時もある。
2、3日15度近い日が続けば、10度と言われれば急に寒く感じる。
2,3日4、5度の日が続けば、10度はびっくりするくらい暖かい。
『幸せ』や『不幸せ』だって同じことだ。
順風満帆、思い通りの物事が進んでいるときは、上手くいくことが『基準』(当たり前)になっているから、にちょっとした躓きでも『失望』や『不幸せ』のどん底に落ち込む。
何をしてもうまくいかないで落ち込んでいるときは、他人からかけられた何気ない一言で『幸せ』を感じる。
凡人ほど、この『基準』の振れ幅が大きく、目まぐるしく変化しているのだろう。
達人と呼ばれる人は、振れ幅が小さく、変化の周期も長いように思う。
子供のころ、親父が初詣でおみくじをした。
引き当てたのが『吉』や「大吉』、『凶』ではなく『平』(たいら、と読むらしい)だった。
親父も初めて引き当てたらしく。
「なんや、これは!」 (`o´)
と機嫌が悪かった。
知り合いの神職さんが。
「いやぁ~、高橋さん。好いおみくじを引き当てられた。百近いおみくじの中でそれが一番です。」
まだ腑に落ちない様子の親父に
「運勢に『大吉』を求めても、それが続くはずがない。やがては運気が下降するでしょう。ところが、自分は『大吉』の運気が当たり前だと思っているから、『小吉』の運気なのに不幸だと思う。『吉』や『凶』に翻弄されて生きるより、心静かに生きるためには『平』が一番です」
その言葉を60年近く経った今でもはっきり覚えている。
残念ながら、いまだにおみくじで『平』を引き当てたこともないし、勿論達人の域にも達していない。
毎日『基準』に振り回される、不平・不満の日々だ。
何かを『基準』に
「今日は寒い」とか
「今日は暖かい」とか言ってる。
この基準が『くせ者』で『ええ加減』なもので、すぐに変わってしまう。
10度でも暖かく感じる時もあれば、寒く感じる時もある。
2、3日15度近い日が続けば、10度と言われれば急に寒く感じる。
2,3日4、5度の日が続けば、10度はびっくりするくらい暖かい。
『幸せ』や『不幸せ』だって同じことだ。
順風満帆、思い通りの物事が進んでいるときは、上手くいくことが『基準』(当たり前)になっているから、にちょっとした躓きでも『失望』や『不幸せ』のどん底に落ち込む。
何をしてもうまくいかないで落ち込んでいるときは、他人からかけられた何気ない一言で『幸せ』を感じる。
凡人ほど、この『基準』の振れ幅が大きく、目まぐるしく変化しているのだろう。
達人と呼ばれる人は、振れ幅が小さく、変化の周期も長いように思う。
子供のころ、親父が初詣でおみくじをした。
引き当てたのが『吉』や「大吉』、『凶』ではなく『平』(たいら、と読むらしい)だった。
親父も初めて引き当てたらしく。
「なんや、これは!」 (`o´)
と機嫌が悪かった。
知り合いの神職さんが。
「いやぁ~、高橋さん。好いおみくじを引き当てられた。百近いおみくじの中でそれが一番です。」
まだ腑に落ちない様子の親父に
「運勢に『大吉』を求めても、それが続くはずがない。やがては運気が下降するでしょう。ところが、自分は『大吉』の運気が当たり前だと思っているから、『小吉』の運気なのに不幸だと思う。『吉』や『凶』に翻弄されて生きるより、心静かに生きるためには『平』が一番です」
その言葉を60年近く経った今でもはっきり覚えている。
残念ながら、いまだにおみくじで『平』を引き当てたこともないし、勿論達人の域にも達していない。
毎日『基準』に振り回される、不平・不満の日々だ。
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